bo-bo-記 rec.0107 01.03.16



抜き書き−『2001年映画の旅』他9冊」
  


◎『2001年映画の旅』小林信彦(文藝春秋)

→P165
だが、〈やさしく〉なれるのは、深く傷ついた人間だけなのだ。〈やさしさ〉なんてそう安く手に入るものじゃない。だから、はっきりいえば、いまの若者の大半は〈やさしく〉もなれないし、冷酷にもなれないと私は睨んでいる。

N:そうですよね。<優しさ>と<残酷さ>はうらおもて。<残酷さ>のない人は<優しさ>もないのです。
ところで、この本は小林さんにしては雑な作りでつまらないと思います。

◎『沢野ひとしの旅絵日記』沢野ひとし(新潮社)

→P191
ヘンリー・ミラーがいった言葉が今でも好きである。「かくことはふたたび愛すること、もういちど生きること」

N:むずかしいなー。僕はまず、ひとたび愛することから始めようと思います。 文章の中に流れるようなシンプルな透明感がある沢野さんの作品が僕は最近大好きです。

◎『この映画見た?』川本三郎(新書館)

→P159
「神がいないのではない。神のいるところに人間がいないだけだ」

N:じゃあ、人間がいないところに行かないと神には会えないのか。そこは、あの世でしかないのではないか・・・。

→P165
九十六年に亡くなった渥美清は、早坂暁によれば放浪の俳人、尾崎放哉を演じたがっていたという。

N:なんとなくわかるような気がします。ここだけの話、肝臓の弱い人はなぜだかみな放哉が好きなのです。
ホントです。
この本は「ミニシアター」単館上映の映画が好きな方にはたまらない一冊になっています。

◎『Sydney!』村上春樹(文藝春秋)

→P324
「人生において大事なことは、勝利ではなく、競うことである。人生に必須なのは、 勝つことではなく、悔いなく戦ったということだ」

N:クーベルタン男爵が言った言葉に「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義がある」がありますが、実際には上のような言葉だったそうです。
いい言葉だと思います。オラの人生に悔いは・・・・・・・・・・・・・・

→P392
僕は作家だから、孤独というものの持つ力強く輝かしい価値と、裏にある危険な毒性をよく承知している。そこに約束されている価値を手に入れるためには、僕らはその毒とともに生きていく術を覚えなくてはならない。緊張と集中力が必要とされる。少しでも気を抜くと、その毒はすぐに僕らに噛みつく。狡猾な蛇のように。

N:ようは毒を中和する方法を自分なりに見つけることですよね。決して宗教では中和できませんのであしからず。

→P393
「指導者がいないことのいちばんつらい点は、自信をなくすことです」と彼女は静かな声で言う。「自分が今どこにいるのか、それが正しい場所なのか、そうではないのか、判断をいつも自分で下さなくてはならないということです」もちろん、ときとして、彼女は途方に暮れる。

N:こういう人は本当に強くなれると思います。マラソンの有森裕子さんの言葉です。

→P403
正直に打ち明けてしまえば、僕は最初から最後まで、このオリンピックという装置に共感を抱くことはできなかった。あまりに巨大すぎるし、あまりに権威主義だった。多くの意志はあまりに効率的であり、あまりに多くの勝利が各種のアディクション(中毒性)によって歪められていた。

N:村上さんのおっしゃることはよーくわかるのですが。そんなこと言うと今の世の中ジャンキーばっかしでっせ。

◎『貧乏だけど贅沢』沢木耕太郎(文藝春秋)

→P141
そういうふうに、いつか何かがひとつひとつできるようになり、できなくなるようになる。それはやはり悲しいことかな。

N:世あたりがうまくなると、本当のことが言えなくなる。まあ、それが成長ともいいますが・・・・。

→P338
勝てばツキで、負ければ実力という箴言は、本質を衝いてます。勝ち方というのは永遠に未知ですからね。負け方というのは、逆にはっきりしてるんですよね。こうすれば負けるというセオリーがある。ハウ・ツー・ウィンはないけれどハウ・ツー・ロスはある。だから、その形だけは徹底的に体に刻み込まないといけない。

N:よく、イヤな事は早く忘れよう、と言いますが。そうはしないで、そこでキチンと自分の負けの原因を分析しましょう。そうすれば同じ轍を踏む事は少なくなります。自らの負けの法則を熟知せよ。大事なことです。

◎『花嫁の指輪』沢野ひとし(角川文庫)

→P225
「恋と雪は積もれば積もるほど前が見えなくなるものなのね」

N:なんだかせつなくなるいい表現だと思います。 自然と恋がしたくなりますねー。
春だもの、、、、、。

→P231
天才芸術家の三要素は「孤独 熱中 逸脱」だというのを読んだことがある。

N:解説の山本文緒さんの文章です。 「孤独、熱中、逸脱」なんていうヒトはヒトとしてはどうしようもないヒトでしょうね。

◎『ばななブレイク』吉本ばなな(幻冬舎)

→P77
その時一緒にいた写真家の高橋恭司「うーん、女の入れ墨は決心だけど、男の入れ墨は抽象なんだな。だからドラゴンとか人魚とかの方向になっていくんだな。」と言った。

N:絵とか写真とか文章なんかもそうですよね。女性より男性の作品の方が抽象的です。

→P95
「映画は私の全てだ。多くが、『映画我が人生』と言うように私にとっては真にそのとおり。映画こそ全てだ。子供の頃から身を捧げてきた。これまでを振り返ると映画は私の恩人だと思う。作ってなければ死んでた。ろくな死じゃない。獄死か、文なしで野垂れ死にか、または労働者の暴力亭主だったかも。私は変わり者だ。自分の運命はわかってる。生きてることも、車に乗れるのも、普通 でいられるのもみんな映画のおかげだ。もし生きる意味となった映画に出会わなかったら荒れた生活をしていたかもう死んでいただろう」

N:LD『新・鮮血のイリュージョン』発売元キャッスルカンパニー・ABC出版より/ダリオ・アルジェント監督の言葉だそうです。 僕も映画のおかげでこうやってまだ生きられてる気がいたします。

→P108
人生を終えるまで自分であるということをくり返し続けていくのは悪いことではない

N:ホント、そのようで。 ばななさんのエッセイの特徴はひとつひとつはたいへん粒だった感じがしていいのですが。一冊の本として通 すとあまりジンとこないのです。これはどうしてか?研究を続けたいと思います。

→P115
中国ではドラえもんは子供に夢を与えすぎるといって放送禁止になっているそうです。 日本人でよかった。

N:オラはサザエさんを放送禁止にしてほしい。あんな家族がじっさい側にいたら恐くて仕方がない。それよりなにより生きて行くのがイヤになります。 でもマンガ本のサザエさんは大好きです。僕がいってるのはあくまでもテレビ版。なんでああなってしまうのか。恐ろしいことです。

◎『黒い花びら』村松友視(河出書房新社)

→P63
「水原の人気がいつか落ちて来る時に、僕はそこで待っていようと思います。十年先でも、一か月先でも。それがマスコミの中に生きる僕たちのせめてもの友情、そんな風に考えているのです」

N:昭和35年3月。歌手水原ひろしの名曲「黒い花びら」を作曲した永六輔が雑誌「マドマゼル」に寄せた辛辣にして友情あふれる文章の一節。でも、落ち目になったスター水原ひろしを実際永さんは待っていたのでしょうか。そこが知りたいところです。 でも、こういうことが言えるのはいい関係だと思います。 僕は小さい頃、水原ひろしの「ヘンなオンナ」という唄が好きでよく唄って母に叱られました。

→P192
思い上がり、傲慢、生意気、自惚れ、意気がり、有頂天・・・・・結構じゃないか。「奢る奴には奢る奴の傲りがある」というセリフは、名言であり、的を射た指摘だ。たしかに、“奢りは傲りに通 じる”のであって、水原ひろしはその世界の牢名主ということになる。しかし、そのツケはしっかりと己れ自信に回ってきて、いさぎよく受け入れたあげく、たった一人で四苦八苦してあがき切ったのだから、他人が四の五の言う筋合いでもあるまい。

N:なぜ、芸人の最後はかくも悲しいことになってしまうのか・・・。 トニー谷(「トニー谷ざんす。」)といい水原ひろしといい村松さんの人物の取り上げ方は実に面 白い。

◎『ロードショウが150円だった頃』川本三郎(晶文社)

→P31
精神病院に患者を運ぶタクシーの運転手がいうこんな言葉が、この映画のメッセージになっている。「おれは、十五年のあいだ、何人もの患者をここに連れてきた。来るときはみんな機嫌がいい。車をとめて夕日をながめたりする。ところが治療を受けてから乗ると、別 人になっている。おれの運転に文句をつける。つまり、普通の人間になるとみんな鼻もちならなくなる」

N:ジェームス・スティアート主演の映画『ハーヴェイ』(1950年)の中のセリフ。 この映画まだ未見なのでビデオ屋さんで探すのですがなかなか見つかりません。どなたかお持ちじゃありませんか?

→P57
「時間はスイス人が作り、フランス人が貯めこむ。イタリア人が欲しがり、アメリカ人は金だと考える。インドには存在しない」

N:映画『悪魔をやっつけろ』(1953年)、トルーマン・カポーティ脚本のセリフ ちなみに日本では“時間”は切り売りしています。

◎『くたばれ!ハリウッド』ロバート・エヴァンス(文藝春秋)

→P9
五年生のときの教師はよく生徒に警告したものだ。だれしも大人になるころには「他人と同じようになる」ために自分の四分の三を喪失してしまう、と

N:自分の四分の三も喪失してしまうと、もうそれは自分じゃないですね。
悲しいかな・・・。

→417
あなたがわが家の夕食に招待されたとして、冷えてかさかさのローストビーフが出されても客だから文句をいわないだろう。高級レストランで同じようなローストビーフを出されたら、そいつは調理場に逆戻りだ。なぜか?たとえ二ドルでも、金を払えば、自分の意見が問題となってくるからだ。映画とて変わらない。ショッピングモールで世論調査がおこなわれ、招待客が選ばれる。映画が気に入らなくてもあなたは席を立たない。映画が気に入っても、立ちあがって喝采を送ることはしない。かつての時代は(あるいはわたしの時代は)劇場で反応を見たものだった。観客が立ちあがって「もう帰る!」と叫んだり、立ちあがって「もっと観せてくれ!」と叫んだりすることが多かった。今日こうした感動はもはやなく、映画がうまくいくかどうかを教えてくれるのは招待客の数だけだ。これをマーケティングの時代という。実は絶望の時代なのだ。

N:テレビの視聴率戦争はもっと絶望的だと思う。

→P438
調査の結果、オリヴィエを一度に一週間以上働かせることは不可能であることがわかった。なぜか?彼は癌に蝕まれており、保険がかけられなかったからだ。“保険がかけられない”というのは、製作中に俳優が死亡、または動けなくなった場合、その損失を保険で埋められないということだ。オリヴィエほどの名優が、仕事がこないばかりか息子を大学にやることもできないまでに困窮していた。

N:オリヴィエとは『マラソンマン』のローレンス・オリヴィエのことです。クライマックスとなるラストシーンで、キャラクターの動機づけを執拗に研究するダスティン・ホフマンに、いらだったオリヴィエが一言「つべこべいわずに演じりゃいいんだよ、きみ」といい放った。カッコイイ。 この本は映画の制作に携わる人にとっては必読の一冊です。みんながコッポラの名作と思っている「ゴッドファーザー」が実は・・・・・。

 

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