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◎『銀座の学校』高平哲郎(廣済堂)
P176→その直後、正面の入り口から髭づらの談志が現れた。
「おっ揃ってるな。じゃあ徹底して放送禁止用語とか差別ネタをやろう!」
中入り後、着物に着替えて高座に現れた師匠は約束通りの高座を始めた。
「聞いてるだけだと思って安心するなよ。喋ってる俺に罪があるなら、聴いている手前たちも同罪だってことを忘れるな!」寄席の風こそ吹かなかったが、そこにもあの緊張感があった。
N:立川談志のこの言葉はあちこちで有名だが、まったくその通りだと思う。モノを見たり聞いたりする客の方に最近緊張感が欠け過ぎてると思うのはオラだけだろうか。
P228→代田の生活も落ち着いて数年後、まったく縁のなくなった高円寺に行く機会があった。そこは自分の育った町なのに妙によそよそしかった。ぼくを見て見ぬ
振りをするような町並みは、あたしを捨てて行ってよくのこのこと帰って来れたわねという態度を丸出しにしていた。遠くから見たなんとかクリニックの看板を掲げたぼくの育った家は、すっかり独り立ちして新しい人生を歩んでいた。あの寂しさといったらなかった。そのことを植草甚一さんに話すと「そういうものです。自分の生まれたり育ったりした町や家は見るもんじゃありません」と言ってくれたので、そんなものなのかなぁと何となく納得してしまった。
N:よそよそしくなったり、変わってしまったのは、きっと自分の方なのでしょうね。
◎『あなたの想い出』高平哲郎(晶文社)
P29→・・・・ぼくも基本的なことを言うと、役者に生まれたわけじゃないんですよ。人間に生まれてきたんで芝居で命を捨てるのはイヤだな。舞台で死ねたら本望だなんていう人がいるけど、ああいう台詞聞くと、貧相な人だなと思いますよ。『人間』ですよ」
N:成田三樹夫さんの章での成田さんのお言葉。同じ役者として同感でございます。一度でいいから同じ現場でお仕事したかった人でした。
P46→「東宝の森繁の『社長シリーズ』の、のり平さんは最高でしたね」
なにかの対談で、そういわれてムッとするのり平さんがあった。のり平さんは映画出演は好きではなかった。あくまで自分は舞台の喜劇役者だと主張していた。
N:作家の小林信彦さんは役者のこういった歪んだ自己顕示欲を称して森繁病と言いました。このウイルスにかかってしまったのは近年では片岡鶴太郎さんでしょうね。
◎『映画につれてって』小林信彦対談集(キネマ旬報社)
P30→チャップリンは好きなんです。というのは、とても純情な役をやるでしょう。たとえば「街の灯」みたいな。あの純情さは、よっぽど悪いやつでなきゃ考え出せない純情さみたいで、そういう感じがとても好きなんですけど。
N:長部日出雄さんの章での長部さんのお言葉。
チャップリンの目というのは、よく見ると犯罪者かキチガイの目だと思います。
P67→差別というのは、社会的には悪いことに決まっていますよね。それだから差別
される側は、いつも、たいへん反日常的なところに立っているわけで。そこから出てくる意地悪な笑いが、ひとつのエネルギーをもってくる。ただ、反日常的なものはすべていいのかというと、実際そういうところにいる人は、そうは思ってない。やっぱり日常的な、安定した生活を望んでいると思うんですね。日常的な場所に住んでいる人間は、反日常的なものにあこがれているから、ヤクザ映画でも何でも見ておもしろいんだし、社会的にいえば、差別
されている側が絶対に不利だし、改めなきゃいけないことだと思いますが、そういう経済的なこと社会的なことを一切抜きにしていうと、人間は自分のいない場所が魅力的に見えるということがある。芸能は、自分がいない場所が魅力的に見えるという、この気持ちを抜きにして、成立するはずはないんです。「ヤング・フランケンシュタイン」は、日常と反日常のそこのところを、うまく往復するんだな。
N:これも長部さんのお言葉です。 以前、長部さんの「紙ヒコーキ通信」という読み物があって、それはとても楽しい映画の文章でした。いつかどこかで再開してほしいものです。
◎『東京ラブシック・ブルース』沢野ひとし(角川文庫)
P269→女の人は先のない恋愛より、将来が約束された結婚の方をとるのかもしれない。
N:昨年の三月十日午前七時三十五分、肺炎のため亡くなったC&Wのバンドマン、ジミー時田(享年63歳)がまだ若かったころの切ない青春物語。寺内たけしやいかりや長介、小坂一也なども登場する。
◎『犬と歩けば』出久根達郎(新潮社)
P23→ついでに言うと、私は文学の根本は、やさしさだろうと思う。これのない作品は、どんなに派手派手しい装いをしても、技巧をこらしたそれであっても、つまらぬ
と感じてしまう。
N:文学に限らず表現はすべてそうだと思います。
P104→「妹は喜んだが、握り飯を上げたほどではなかった」
N:上林暁(かんばやしあかつき)の「薔薇盗人(とうにん)」の一節。
ひもじさに気力を失った幼い妹の胸に、赤いバラをかざしてやりたくて、ただそれだけの理由で少年は盗人を働いたのである。教師になじられた少年は上のように答える。
悲しい「花よりだんご」です。
P135→犬の一日は人間の四日間に当たる。
N:作者の飼っている犬がこのエッセイ本の中で死んでしまいます。一瞬の苦痛も四倍になるのです。ツライ・・・。
P149→しかし奇蹟を見た人には、理屈は通じない。
N:なんでしょう。これを飲めば直りますと言われて直った人は、その薬がイイと力を込めて人に薦めます。それは別
にいいんだけれども。その薬でこちらが直らない、普段の行いが悪いのではないかと言うのはやめてほしいと思います。
P190→「僕ハモーダメニナツテシマツタ」という書き出しで、「毎日訳モナク号泣シテ居ルヤウナ次第ダ」と述べる。カリエスの激痛に泣き叫びながら書いた手紙である。
N:子規がロンドン留学中の漱石に送った最後の悲痛の手紙。
オラは心の痛みでよくこうやって嘆くが、誰も相手にしてはくれない。淋しい・・・・。
◎『浅草フランス座の時間』井上ひさしこまつ座編著(文春ネスコ)
P37→小屋はホントに真っ暗だったね(笑)。楽屋のコンクリートの上のほうに小さな窓があって、ときどき日がさし込むと、ボーッとホコリが浮いて見えた。ああ、オレはこんなホコリの中で呼吸してるんだなあって思うことが、たまにあったね。
N:昭和四十八年八月におこなわれた渥美清と井上ひさしの対談《お笑い天国“浅草”六区の日々》。その中の渥美さんの言葉でフランス座のことを語っているところ。
僕も若いころ、新宿の小さな小屋で小さく丸まりながら同じように宙に浮かぶホコリを見ていました。
P59→後で気づいたことですが、いい喜劇役者は、自分の体の中に矛盾したものを二つ以上併せ持っていないといけないんですね。何か欠けていると同時に、何か過剰なものを持っていること、渥美さんは声が過剰なほどよかった。思わずぞくぞくっとしました。
N:井上ひさしのエッセイ《渥美清とフランス座》より。 現代の表現者の中にはこの《自分の身体の中の矛盾》がわかっていないように思います。まぁ、わかったところで苦しいだけですけどね・・・・。
P67→会うたびに出る定番の話題があります。渥美さんがこう切り出すのが始まり。「療養所というところは淋しいねぇ」たとえば御主人が入所する。奥さんが毎日のように面
会に通ってくる。「俺がこんなになってからは、おまえさんが働きに出ているわけだし、家のこともあるし、毎日、見舞いに来なくてもいいんだよ。だいたいおまえさんの体が保たないだろう」そんなことを云いながらも御主人は嬉しそうにしている。ところがそのうちに、面
会が二日に一度、週に一度、月に一度というふうにだんだん間遠になる。御主人は周囲に、「うちの奴、ちょいとした仕事を任されて、忙しくやっているらしいんですよ」と陽気に振舞っているが、ふとうつむいた顔に力がない。やがて奥さんがふっつり姿を現さなくなる。そして、奥さんが他の男と連れ立って映画を観ていたという噂・・・・・。「なにが淋しいといって、あれほど淋しい風景はないねぇ」私も一時期、療養所で働いていましたから、同じような風景を何度も目にしてきました。ですから渥美さんの云う意味がよく分かる。話を聞くたびに、この人は地獄を見てきたなと思ったものです。あの人の人生にたいする思い切り方は、ひょっとしたらこういった風景が元になっているのかもしれませんね。
N:同じく《渥美清とフランス座》より。 ああ、自分だけじゃなかったんだ。男ってみんなこういう考え方をする生き物なんだなぁ。と、少し安心しました。それとも、C型肝炎の人独特の考え方かしらん。
P83→
井上●映画をたくさん見ていると、「次はこうなるだろう」という予測がつくんですが、武さんのは不意打ちが来る。これがすごいですね。
北野●不意打ちは、わりかし漫才に似ている気がしますね。相棒とのコンビネーションがうまくいかないとだめなんですが、僕の好きなネタにこういうのがあります。クイズ番組の司会という設定で、「次の方どうぞ。お名前は?」「小林信夫といいます」「ああ、フランス人の方ですね」
井上●ハッハッハッ
北野●なんにも意味がないんだけれども、笑ってしまう(笑う)どうして「小林信夫がフランス人なんだ」という意外性が受けるんですね。こういう意味のないギャグがすごく好きなんですよ。映画でもこうなってこうなるだろうという展開は好きじゃないんです。お笑いというのは、感性が必要なんですね。
N:平成十年一月に行われた北野武と井上ひさしの対談《浅草フランス座のお笑い作法》より。
最近のタケシ映画は予測がつくゾ。何故だ。
P89→
北野●「この台詞が完全に生きてくるようにしよう」と前後を考えていく、そのために、僕は、お菓子屋さんで子供が物を買う時に店の人が一体なにを言うのだろうかと見ていてことがある。「坊や、いらっしゃい」の次に、「なんにしますか」と言うのかどうか、覗いていたことがあるんですよ。そしたらなんのことはない。子供が手にとって「これ」「はい、五十円」でおわりだった。そうすると、台詞はないなあ(笑)。
N:同じく《浅草フランス座のお笑い作法》より。
脚本を作るとき。僕も台詞に関してはよくこの方法を使います。
P91→
井上●僕は最近、ほんとに大変な世の中になったなという感じがするんですね。でも、やっぱり大変なことともう一度向かい合うしかないと思いますね。
北野●僕は逆に言うと貧乏期待論でもう一回どうにか食えるというところまで落ち込んでしまわないといけないような気がする。もう一回文化もなにもかもつくり直ししないといけない。これまで怪しげなうわずみで文化をつくってきたのじゃないかな。これは下手すると自分にも言えることです。僕はそれを「テレビバブル事件」と呼んでいて、僕自身それで食ってきたわけだけどもね。一番単純な方法としてはまず不景気でもいい。必死になってはたらかないと食えないという状況からやり直さないとだめなんじゃないかと思いますね。とにかく、もう一回やり直さないと・・・・・・。
井上●同感ですね。ごまかさないで、まずつらいことと直面して戦うしか方法がなくなってきましたね。考え方によってはすごい希望がその向こうに見えるんですね。これはすごいチャンスが来たなという気がします。日本人というか、人間は、もうちょっと苦しみに直面
して戦うしか乗り越える方法がなくなってきている。
北野●生きることの楽しさは全部、外国からむりやり教わったようで、日本人の人生を楽しむ方法がにせものになったような感じがある。片方で死というものを必ず見ないようにして来たけれど、生と死の両方を50パーセント50パーセントで見ていないと、なにかあった時にほんとパニックになってしまうんですね。
井上●自分が死ぬ存在だというところから始めないといけないのでしょうね。武さんの映画じゃないですけれども、自分が死ぬ
瞬間を絵にして、そのためにはどういう物語をつくり、どういうふうに生きたらいいのか、それを直視する時期に入りましたよね。
N:これも《浅草〜》より。
僕たちもズーッとこんな事考えながらモノを作ってきたような気がする。
◎『妻と私』江藤淳(文藝春秋)
P74→越えて、十月十五日の午後のことである。誰にいうともなく、家内は、
「もうなにもかも、みんな終わってしまった」と、呟いた。 その寂寥に充ちた深い響きに対して、私は返す言葉がなかった。実は私もまた、どうすることもできぬ
まま「みんな終わってしまった」ことを、そのとき心の底から思い知らされていたからである。私は、しびれている右手も含めて、彼女の両手をじっと握りしめているだけだった。
N:死に行く妻との最後の生活。オラは妻とどんな言葉を交わすのだろう・・・・。
P92→しかし、挨拶を済ませて二階へ戻って来るたびに、疲労感は更に深まり、神経が疲れているだけではなく自分の身体自体が、深く病んでいることがわかった。死の時間は、家内が去っても私に取り憑いたままで、離れようとしないのであった。家内とはやがて別
れなければならない、そのときは自分が日常的な実務の時間に帰るときだ、と思っていたのは、どうやら軽薄極まる早計であったらしい。何故なら、死の時間と日常的な実務の時間とは、そう簡単に往復できるような構造にはできていないらしいからである。いったん死の時間に深く浸り、そこに独り取り残されてまだ生きている人間ほど、絶望的なものはない。家内の生命が尽きていない限りは、生命の尽きるそのときまで一緒にいる、決して家内を一人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があったのに、家内が逝ってしまった今となっては、そんな目標などどこにもありはしない。ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕らえ、意味のない死に向かって刻一刻と私を追い込んで行くのである。
N:もう、何も言えないよ・・・・・・。
P114→それが一段落してホッとした二月のある晩、突然何の前触れもなしに一種異様な感覚に襲われた。自分が意味もなく只存在している、という認識である。このままでいると気が狂うに違いないと思い、とにかく書かなければ、と思った。
N:そして著者の江藤さんも死出の旅にでかけました。悲しすぎないか!人間って!
[江藤さんの遺書]
心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。
去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処刑して形骸を断ずる所以なり。
乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。
平成十一年七月二十一日
江藤淳
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