bo-bo-記 rec.0122 01.06.01



抜き書き−『カミュの客人』他5冊」
  


◎『カミュの客人』村松友視(光文社)

P119
「嫉妬は大事だ」
「大事・・・・・」
「嫉妬は男のエネルギー源だからね」
「男の?」
「男は嫉妬をもたないと駄目だ」
「嫉妬は女のものではないんですか」
「女のは嫉妬のポーズだろうね」
「それじゃ、女のエネルギー源は何なんですか」
「プライドだね」

N:おお、何と深いお言葉。ハハー(ひれ伏す)。
ついつい女性のプライドを傷つけてしまうワタクシはそれゆえに嫌われるのですね。くわばら、くわばら、くわばら茂一。

◎『天気待ち/監督・黒澤明とともに』野上照代(文藝春秋)

P199
それにしても、この“荒れもようの空に鴉のむれ飛ぶ麦畑”を残して、自らの胸に銃弾を撃ちこんだゴッホの辛さを思うと、哀しい。そのピストルは、鴉がうるさいから追い払うためゴッホが借りていたものだという説もある。
瀕死の床に横たわったゴッホは、かけつけた弟テオに、
「泣いてはいけない、ぼくはみんなのためにと思ってしたのだ」
という言葉を残している。(向田直幹他『ゴッホ巡礼』新潮社)
テオがいつも仕送りしてくれる、五十フラン(今のレートで八百円)が、どんなに弟たちの負担になっているか、自分が死ねば、みんなが幸せになる、と思ったゴッホ。
ゴッホの絵は生前、たった一枚しか売れなかった。
ゴッホの死から九十七年後の一九八七年、ロンドンのオークションでゴッホの“向日葵”が、五十三億円という空前の価格で落札された。日本の安田火災海上保険会社によるものである。
何か、目に見えない理不尽なものに、私は限りない憤りをおぼえる。

N:するってーとなにかい。理不尽っていうのは目に見えるのかい。オラは生まれてこのかた、理不尽ってやつが町を歩いているのを見かけたことはないね。

◎『スクリプター/女たちの映画史』聞き書き・桂千穂(日本テレビ)

P217
編集の方もプライドを持った方は「おれはエディターだ、カッターじゃない」っておっしゃいますね。

N:中尾壽美子さんの章でこれは桂さんの言葉。 オラも言ってみたいねー、「オラは役者だ、人形じゃないよ」って。

P298
白鳥●〜斎藤武市さんが「これからは映画は歌舞伎のようになる」と言うんです。名言でしょ。 −名言ですね。
白鳥●文化としては生き残るだろうが、これでメシを食うことはできない。俺はテレビに行く。あかねちゃん一人ぐらいは食べさせてあげられるから、いっしょに行こう」と誘ってくれたんですよ。師匠の言葉だしありがたいなあと思ったんですが、悩んだ末に「ポルノがどんなものかも分からないけれども、それでも私は映画に残ります」とタンカを切ったんです〜

N:スクリプター・白鳥あかねさんの章で。
このとき白鳥さんがポルノに残ることを決めたおかげで、神代辰巳も藤田敏八も根岸吉太郎も名監督になれたのだ。僕はそう思う。すごいぞ白鳥あかね。

◎『アラウンド・ザ・ムービー』森卓也(平凡社)

P113
「ああ、そりゃ小視症ですね」。
眼科医の甥は、あっさり答えた。
「・・・・・・ショーシショー?」。
「ものが遠くに見える、つまり小さく見えるわけでしょ?ミクロプシア。神経質な人に多い症状ですよ」。
「・・・・・・」。
「現実から逃避したい時に、起きやすいんです。ぼくも、小さいころ、親父に叱られると、そうなりましたから。でも、叔父さんも、そうだったんですか?」。

N:小視症ってのはポコチンも小さく見えてしまうのだろうか。これ以上小さくなったら困ってしまうゾ。小指とポコチンの見分けがつかなくなってしまう・・・・・

◎『お笑い男の星座』浅草キッド(文藝春秋)

P73
当時25歳の洋七が
「タケちゃん、もし俺たちが売れて、金持ちになったらどうする?」
「そうだなぁ・・・・・・」
「金持ちになったらワシはいつも切り身しか食べたことがないから、サバを一本丸々食べたいんや!」
28歳のたけしが笑いながら、
「オレも貧乏だけどおまえも貧乏だな!オレは車も家も欲しい、だけど、もし金で買えるなら、オレは芸を買いてぇよ!」と一言。

N:浅草キッドの師匠、若かりしころのビートたけしと島田洋七の会話。
オラはキチンと喋れる舌がほしいナー。誰かチョーライ。

P146
「人間が壊れている」
「精神が脱いでいる」
「言葉が吠えている」
「窮地でフレーズが切れる」
「人前に出るのに、ヴィジュアルが悪い意味で完成されている」

N:元「週刊プロレス」編集長・ターザン山本のことを言っているのだが、オラはその方のことをほとんどと言っていいほど知らないが、かなり笑える会話だ。

P175
「芸能界で助けてくれる人はいなかったですか?」
「誰もおらんわ、皆、連絡するだけでも、嫌がるんや、でも、兄の一徳は、返さんでもええからって20万もくれたわ。助かったわ」
「そ、それは、身内としては少なすぎませんか?」

N:自己破産した岸辺シローと浅草キッドの会話。
以前「ハーヴェスト」という芝居で、キャスティングに難航していたとき青森出身の秋田というプロデューサーが「岸辺シローはどないや」、と慣れない関西弁を使っていたのを思い出した。結局、岸辺さんは出演されませんでした。
それにしても兄の一徳さんもケチやなー。

P233
とあるクイズ番組で・・・・。
司会「トラ!トラ!トラ!という暗号は第二次大戦中、日本軍がどこを攻撃する際に使ったものでしょう?」
ガッツ石松「どうぶつえん?」

N:そして何かあるとこの方は、オッケー!オッケー!OK牧場!!と言うのです。トホホ・・・・。

◎立川談志・山藤章二画『談志百選』(講談社)

P18
もし日本にボブ・ホープかレニー・ブルースがいたら、たけしはバラエティーの司会や、ナンセンスにもならぬ TVに王様然としていたろうか。たけし軍団なんという半端な連中に持ち上げられて「殿」なんぞ、いわれていたろうか・・・・・ 己の狂気と、芸の狂気の狭間で狂い、レニー・ブルースの如き最後をとげたろうに・・・・・・(たいした奴でもないが、一つの生き方のスタイルとしての例)。一世の天才芸人になったはづ、かの弥太っぺ馬楽も盲目の小せんも及ばない芸人になったろう。勝手ながら惜しい。

N:これは“ビートたけし”の章よりの抜き書き。惜しいって言っても、自殺されちゃあ、もっと惜しい。
でも談志師匠のいうように事故後のたけしは芸人としてはつまらなくなった。やはり人間(人生)はバランスなのだろう。

P23
十日間一緒の出番の予定だった三平さんが死んだ。家元物真似が上手いから、で三平さんを演った。自分で「三平」という「めくり」を出し、「神田祭」の三平の出囃子を弾かせて、三平のギャグを連発した。最後に「この三平の名札も今日が見納めです。一緒に叫んで下さい、“三平ーッ”と。彼はおっちょこちょいだから、ことによると戻ってくるかも知れません」。私の“セイノォ”に客席が叫んだ。
「三平ぇー」 客席に涙が光った。
その録音は家元持っている。あんなに愛された芸人はいまい。

N:“林家三平”の章で。
談志の名文である。

P55→和っちゃん持病の喘息で死んだ。見つかったときは死後一週間を過ぎていた。「芸人らしい死」ともいえる。

N:“泉和助”の章で。
家元はキット野垂れ死んでこそ芸人と思っていらっしゃる。おっしゃるとおり、そのとおり。

P106
「まァ、三十代までですネ」
「第一歯をやられますでしょ、入れ歯ンなったらもう駄目ですし、まして、この撥、前歯だけで銜えてるんですしネ」
そうなんだ、アレ、あの撥は前歯だけで支えていたのであった。“凄げえ”であった。

N:“海老一染之助・染太郎”の章で。
それにしても芸人さんてのは本当に凄げえナー。

P123
きっと若き頃、浪曲界には名人、上手が居並び、とてもぢゃないが、“正攻法(まとも)ぢゃ敵わない”“若くして世には出られない”との発想から創り上げた武蔵節。その節の根底は、奇妙といってもいい節であり、それは己の本質(なか)に有ったものか、はたまた、全く違う己を創ってみたのか。少なくも“苦しまぎれ”と家元は見ているのだが、「変則芸が当たる」世にこれほど独創的なことなない。
本人とって快感はない。
これを芸術という。

N:浪曲家“東武蔵”の章で。
この家元独特の独創的な分析も芸術だ。

P135
会うとバカ話と駄洒落ぇいってるのは、きっと他人に云えない過去と秘密の中で生きている葛藤を見せないための手段であろう。「手段の母だ・・・・」、ナンダカワカンナイ。
〜中略〜
たまに会うと「チャイコフスキーに安来節を聞かせたかった」とか「綿アメで人を殺す方法」とか、「生きているオバQにこの間会った」とか熱心に語るが信用できない。

N:“高田文夫”の章で。
家元は本当に優しい人だと思うゾ、うん。 そういえばオラもこの間ホンモノのクレヨンしんちゃんを角の公園でみかけた。

P151
「己をメチャメチャにしたい」という心理でもあってくれたら理解ったのに・・・・。トニー谷自信己でも理解らないのだろう。人間自分で判らないことなんざァ山の如くある。いえ、ほとんど判らない。
で判らない己の中身を、判りやすい、世間一般が判り得る傲慢と、土下座という行為で表現わしたのかも知れない。段々ワカラナクなるネ・・・・・・・。
〜中略〜
ざんす、ざんさ、さいざんす、と唄った曲は確か「恋をするのも家庭の事情」だったか、はたまた「さいざんす・マンボ」であったか、その相手、つまりデュエットした歌手が、若き日の宮城まり子である。

N:“トニー谷”の章で。
落ちぶれたトニー谷が銀座の酒場で家元に「談志ちゃんだけだ、本当の俺が判ってくれるのは・・・・」と土下座して泣いたという。それを思い返しての家元の言葉。相変わらず悪口に愛がある。
それにしても幾つになっても男ってだらしないよね。判ってくれる人がいないと、不安で仕方がないのだから。

P154
TVの司会もやっているが、あんなものぁ誰でも出来る。それより司会という仕事を得る能力が大変なのだ。

N:“立川志の輔”の章で。ごもっともなお言葉。

P170
勘九郎に「喜怒哀楽の表現なんざァ、いとも簡単に出来るだろう、けど、それは歌舞伎という型の中での表現であり、それを突き抜けたとしても、家元の落語同様伝統芸の枠での抵抗だろう。そうでない表現、己の中にある衝動とそれらが観客の常識と一致しないが、それでなければ己が治まらないというときがくるよ、絶対にくるネ、そのときが面 白いネ。それは歌舞伎全体の芸の問題でもあるが、それを背負わされるのは中村勘九郎一人だろうネ・・・・」に、珍しく真剣な眼をしてた。
でも、それらを含めて勘九郎なら何でも可能のようにみえる。
くどいが問題は、世間では狂気としかいいようのない己の本性と歌舞伎との葛藤である。それは芸の形式、内容共に含めた、「勘九郎歌舞伎」の世界を創る、ということ。いえ、それしか己の納得はない、ということ・・・・。もういいネ、くどいネ、「何とかなりますよ」と勘九郎いいそうだしネ。

N:“中村勘九郎"の章で。
勘九郎は凄いと思うし、上手いとも思う。でも僕は好きじゃない。どうしてだろう。ウソツキだからだ。もっと上手にウソをついてくれれば好きになれるのだが。ウソは上手につかないと客は騙せない。

P172
何だか訳の判別らない奴である。起きてりゃパァパァパァパァ知ってる限りの知識・・・・てぇ程のものでもないが・・・・・それを喋る。喋ってないと不安なのだろう。現代人が持つ「空間恐怖症」という山藤章二画伯の言葉の最たる奴である。

N:“三遊亭円楽”の章で。
この空間恐怖症という病気、そこいら中で流行っています。ホントに沈黙が怖いんでしょうね。かわいそうに・・・。

P203
だが、デーブ・スペクター、書いたように、馬鹿ぢゃあないから、家元や周囲の連中の嫌な顔付きをすぐ感じとり「普通 の外人」となるが、ちょい気を許すと、「TVに出る変な外人」と相成る。
ま、それをやらねば“TVでは生きていけない”という判断なのだが、この判断は不快だが当たっている。

N:TVの力いまだ衰えず。“デーブ・スペクター”の章より。

P238
芸に完成はない。その芸人のプロセスが芸である。

N:暗記しとこうーっと。

P342
「横浜ベイスターズは強いのかネ」の家元に権ちゃん・・・・・(という間柄なのだか、各々方失礼)、
「強いよ、強いネ」
「佐々木は打てないかネ」
「打てないよ、大リーガーでも打てないよ」
「なら、又優勝かネ」
「判ンないネ」
「判ンないだろうな・・・・・」
「判るもんか・・・・」
権ちゃん、この人生訓みたいなものをどこで覚えたのだろう。三十勝連続の全盛でも、あまり傲慢な噂ぁ聞かなかったっけ・・・・。
〜中略〜
「そんなこと判ンないよ」と監督。
「優勝するつもりはあるだろ」と家元。
「そりゃ、そうだよ」と権藤サン。
とは、いうが、どこかで権藤もっと遠い処を見ているようなのである。その権藤の見ている最後のものは「人生」であろう。それを見つめているのだろう。

N:そして日本のプロ野球界は権藤を首にしました、とサ。

P366
「よく、ああいう番組に平気で出てるネ。了見が判ンねぇ、役者魂みたいなものはないのかネ」
「ないネ」
「金だけかネ」
「そんなとこだネ」
「映画は?」
「ないネ」
「・・・・はあ・・・・・ないのか、なきゃ仕様がねぇ、絵にもないのか」
「あるネ」
「絵にはあるんだ」

N:中尾彬と家元の会話です。中尾彬がちょっとだけいい奴に思えました。

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