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◎堀川弘通『評伝黒澤明』(毎日新聞社)
P159
「その役に成り切るためには、いつでもその主人公の気持ちでいるくらいでないと、本当の演技はできないものだ〜中略〜家にいても、スタジオで時間待ちしていても、主人公同様、ガン患者になっていなければならない。撮影にかかってから半年間、私はガン患者だ。あと半年しか命がないのだ。と自分に言い聞かせてきた」(志村喬著『我が心の自叙伝』)ので志村は本当に「神経性胃炎」になってしまった。
N:「生きる」で主演した志村喬さんのお言葉。 役者の鏡のような演り方だし、こういう俳優さんが僕は好きなのですが。このような演り方は体を壊すのでやめたほうがいいでしょう。体を壊しても誰も助けてはくれません。身体を壊してまで、今の時代、表現をやる価値や意味はない。悲しいことだけど。
P179
「キャメラを観客に意識させないことが第一だ」 「人物が動けばそれについて動くのはいいが、キャメラが勝手に動いてはいけない」
「ズームレンズは、レンズ一個で済ますことができる便利なレンズだが、こちらが対象物に寄って行くのではなく、対象物がこちらへ近寄ってくるので、不自然なことおびただしい。これは怠け者のやることだ」
N:黒澤さんの言葉は、なるほど、と思うことが多いけれど、同時によくよく考えると随分と強引な人だなぁとも思う。
P204
クロさんは「作品を創造するためには、死者が出てもしかたがない」という。
しかし、私は一作品のために、死者が出るような演出は強行すべきではないと思う、もっと周到な準備をしてから、撮影にかかるべきだったと反省している。
クロさんは「木下君(恵介)はセンチメンタル名作品を作るが、根は強固なリアリストなんだよ。俺は彼に比べてリアリストのように思われているが、本当は弱虫のセンチメンタリストなんだ」と言っていたが、日常生活では、小さな弱い犬が死んだ時、嘆き悲しむクロさんが、こと映画となると、「死人が出ても、しかたがない」と突っぱねる。
人間とは、まことに複雑面妖なものだと思う。
N:『七人の侍』のころのお話。
表現作品というものは創り手の蔭とか闇の部分が色濃く出てしまうものなのではないのかと思いますねぇ。
P307
私はある時、クロさんの長女・和子に聞いてみたことがある。
「『デルスウザーラ』は、どうして今までのクロさんと違ってねばねばしないで、サラサラと自然体だったのだろうね?」
「それはね、パパはあの前後は、腎臓が両方とも悪かったのよ。だからネバレなかったの」
〜中略〜
「じゃ、どうして『影武者』で、元の黒澤流に戻ったんだろう?」
「それはね、パパは入院してすっかり腎臓を治して元気になったからよ」
N:肝臓を患っているオラは、今、どんな作品を創るのだろうか。ウーン、試してみたい。
P331
クロさんの遺体は、『デルスウザーラ』以来の帽子を被り、おなじみの黒メガネ、顔はお人形のように奇麗に化粧されていた。私はこれを見て、アッと声に出しかけて辺りを見た。参列の人々は静かに手を合わせている。別
に違和感をもっていないようだった。 考えてみれば、クロさんは常々「俺は映画以外、何もできない男だから」と言っていたから、「仕事着」のままで天国に行かせようという家族の優しい思い入れだったことは理解できる。違和感を持った私の方こそ、異常だというべきかも知れない。しかし、私はやっぱり、生まれたままの姿で送ってあげたかった。これは抗議ではない。ただ私だけの単純な想いである。
N:もしオラだったら、やっぱり生まれたままの姿で最後はありたいと思う。まぁ、ドッチでもいいけどね。死んでいるんだから。
◎柳屋小三治『もひとつま・く・ら』(講談社文庫)
P64
クマのお母さんてぇなァ、子供が生まれると二年、三年だったかな。たしか二年、一緒に暮らします。で、二年たつと、さァひとり立ちしろよ、自分で生きていけよと追い出すんですが、その時にその子が男の子だと雌とのやり方をお母さんが自分の体で教えるんだそうです。
N:ス、スゴイ性教育だ。クマは深い。
P121
妹が今も嫁ぎ先の富山県で音楽の先生をしていますけどね。エー、どうも大体、ほんとに困ったもんで、肩書でもって人を評価するとか、特に音楽の世界はありがちですよね、演奏畑のほうではコンクールに受かった者がほんとに実力のあるものだと思われてしまう。そうなのかもしれません。
でももしかしたら、どこか、全然コンクールも受けることしないで、ほんとに隠れた素晴らしい人がいるはずなので、そういう人を見つけるというか、世間で悪いと評判されてる人でも自分だけはこの人は素晴らしいって思う確固たる自覚といいますか、そういうものを養うっていうことがもっと大事だと思うのに、どうも学校の先生ってのは総体をみて、その中から、ある枷をはめて、いわゆる答案であったり、コンテストであったりするものをはめて、いいものをいいとするというのは、どっかあたしは違ってるんじゃないかなということは感じますね。
N:そうなのですね。自分の目で判断する力が、今の人達にはないのですねー。全て情報でしか判断できない。あっ、それって今に限らず昔から・・・
P123
ただね、こういうことを思うんですよ。たとえばね、ぼくがここへ来て今日話ししたからって、ほんとに起承転結をつけてですね、うまい話をして、皆さんがたとえそれで感動したとします。感動したとしても、その話を聞いたためにガラッと先生方の一人一人が、なにか人生観が明日っから変わってしまうとか、歩き方がら生き方まで変わってしまうってことがあるでしょうか(笑)。もしあると思って話してるとしたら、それは大変な僭越ですよ。それは先生だからじゃない。生徒でも子供でもみんなそうだと思うんです。自分でコントロールしてやろうとか、なんか影響させてやろうなんて、とんでもない思い過ごしもいいとこですよ。噺家にはいますよ、そういうのがね。噺家ばかりじゃないです、どこの世界でもいます。おれがひとりでやってりゃ、それですべて事が済むんだみたいな。とんでもないことですよ。
N:そうなの小三治さんのいうとおりなの。でもね、人間ってやつはだいたいがココロの中にそういった愚かな部分を抱えているものなのね。
P125
ベートーベンが面白い。ベートーベンのたとえば「月光」はいいとか面白いとかいったって、「月光」そのものの楽譜はなんにも語りゃしません。それをどう理解して、どう表現するかっていう、そこの人間の力にみんな感動したり素晴らしいなと思ったりするわけです。もしそれがなかったら、楽譜配って、みんなが満足してればいい(笑)。
N:でもね、楽譜を見ただけでポロポロ泣けるぐらいの創造力があったら、それはそれでスゴイよね。
P158
〜こんなことやってたってなあ、情緒豊かな子供にはならねぇだろうな、なんて思うのはね、それは親で、人間てのはそんなものじゃありませんよ。何やったって必ずいつかはいいものを求めるようになるんです。興味が向いたらどんどんやらせりゃいいんです。早く飽きさせたらいいの。いいものは飽きないですよ。
N:僕はこうもおもうのです。いいものは飽きない、それはわかります。でも、長くやっていると飽きないのではなくて、意地になってくると思うのですね。その意地が情緒に繋がって行くような気がいたします。
P310
目の見えない人ってのは杖ついて表歩いてる。あれ、杖のつき方で、いつごろから目が悪くなったのかがわかるっていいますね。
中年といいますか、ある程度物心がついてから目が見えなくなった人ってのは、杖が先へ行くんだそうです。先へ行く。自分の体はなるべくあとからあとから。そうですよ、見えてる頃を知ってますから。
N:なるほどねぇ。転ばぬ先の知恵(杖)ですね。
◎柳美里『命』(小学館)
P60
「癌になって、こんなにもてるとは思わなかったよ。サンフランシスコに棲んでいる古い女友だちがいっしょに暮らそうと電話してきたし、義母や異母兄弟は長崎で暮らそうといい出すし、バリ島で一年のんびり暮らしましょうと誘ってくれる女の子もいる。それにあなたの一期下の佐藤さん覚えてる?彼女までいっしょに暮らしましょうだってさ。冗談に決まってるけど、つい、お願いしますといいそうになってしまった」
N:東由多加→劇団東京キッド・ブラザーズの主宰者。2000年04月20日、午後10時51分永眠。上の言葉は癌を宣告された東さんの言葉。
そんなこと言われたら、オラなんかすかさず、家族ともどもお願い致します、って言うに違いない。あっ、だから、誰も言ってくれないのか・・・悲しい。
P122
幼いころに母親を亡くし、母親から愛情を注がれた記憶を持たない男が、五十数年後にほかのひとが滅多に体験できない母性につつまれているのだから、人生はどこかで帳尻が合うものだと思わずにはいられない。
N:やはり人生50勝50敗だ。
P122
神の傍らに棲まわせてもらえる幸福なひとなど存在するのだろうか。エレンが東にいった通
り、みんなごく普通のひとに過ぎず、ただ抱えてしまった愛情の量が多いかすくないかの差なのではないか、とわたしは思う。
N:うん、意義ナーシ。
P132
人は死んでしまえば
もう生きなくてもよいのです
N:聖書の言葉だそうです。いい言葉だと思います。
P134
「妊娠をはじめて知ったとき、これで美里は簡単には死なない、ザマアミロ!と思ったんですよ。なにも初孫ができたのがうれしくて歩道橋の上で万歳したわけじゃないんです。娘が十四、五歳のころから、いつ自殺するか、いつ自殺するかって思いつづけてきた母親の辛さがわかりますか?」母の顔は泣き笑いで崩れていた。
N:親は幾つになっても子供のことが心配で、その関係はどちらかが死んでも続きます。
◎柳美里『魂』』(小学館)
P210
「あの平岩という医者はおれと似てるんだ。そっくりだといってもいい。患者と協力し合って治療をする、患者が主体だといってるけど、実際はそうじゃない。自分の考えを押しつけて、イエスと答えるしかないように仕向ける。ノーといおうものなら、じゃあ治療はできない、ほかに行ってくれと放っぽり出す。おれだってさ、キッドはみんなの劇団だ、だから自由に意見をいってくれ、というよ。でも役者やスタッフに意見なんていわせない、もしいったら辞めさせるさね。独断と偏見の塊なんだよ。さぁ、困った。困ったね」
N:『命』『魂』を読んでみて。命の尊さとか儚さとかよりも、ものすごい濃厚なラブ・ストーリーを読んだ気がした。僕は柳美里の小説も東さんのお芝居もあまり好きではないけれど、自分と同じ匂いをそこに嗅いでしまうときがなくはなかった。わがままに生きた二人の男と女。自分の近くにいられると困るけど、少し離れたところでなら眺めていたい、すごく無責任に・・・そんな感じ。
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