|
N:僕は映画監督川島雄三が好きだ。作品も好きだけれど、その生き方が、ツライけど好きだ。読んでいて、ずうずうしいくらい自分を重ねてしまう。きっと、そういう人はたくさんいると思う。もちろん、僕にはあのような作品を作るほどの才能はないし、あのような凄まじい生き方をするほどの度胸はない。だからこそ、ついつい自分を重ねてしまいたくなる人。それが川島雄三だ。その川島雄三に関する文章を、弟子の藤本義一が書いた。それがこの本だ。ぜひ、一冊、あなたも一読されることをおすすめする。それにしても・・・・僕の大好きな監督と大好きな作家が、師弟関係にあったなんて、それもかなり濃厚な・・・・・。[抜き書き]も自然と多くなってしまったので、二回に分けてみました。では、いってみましょうか。
あっ、その前に、川島雄三の略歴を。
川島雄三=(1918〜1963)映画監督。青森県下北・田名部生まれ。明治大学専門部文芸学科を出て、承知区大船撮影所入社。島津保次郎、吉村公三郎、清水宏、小津安二郎、野村浩将、木下恵介、大庭秀雄ら、ほとんどの監督に助監督として付く。織田作之助と交わり、その原作・脚本で第一回監督作『還って来た男』を1944年に撮る。日活、東宝と場を移し、筋委縮性の宿痾をかかえながら日本軽佻派を名のり、独自の喜劇を中心に、露悪的で含羞にとみ、卑俗にしてハイセンスな人間味溢れる数々の名作・迷作・奇作・珍作・駄
作・問題作を世に送った。代表作に藤本義一がかかわった『暖簾』『貸間あり』のほか『幕末太陽伝』『しとやかな獣』『わが町』『洲崎パラダイス・赤信号』『雁の寺』など。急逝の死因は肺性心
◎藤本義一『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』(河出書房新社)
P9
「いいですか。普通の人の場合、物事に思考を巡らす量を100としましょう。それを言葉で表現した場合は十分の一の10になります。さらに、それを文字で表現しようとすると10分の1の1になります。頭で考えていることを文字にすれば、100分の1です。1パーセントです。これが普通
人の葉書、手紙、その他の文章です。ところが、プロはこれでは通用しません。君は天才でもなんでもないのですから、1を1・1、あるいは1・2ぐらいに表現しなければいけません」
N:[エッセイ]『わが師の恩』、より。
この100分の1になってしまった文字を俳優の肉体を通って口から出てくると、そこから1000倍になることもあるし、逆に1000分の1になっ
てしまうこともある。その鍵を握っているのが映画監督という人だと思います。
P10
「私は二十歳で小児マヒに罹った。二十歳で小児マヒになったのは、ルーズベルトとぼくだけだ」
〜中略〜
「誰だって下手なものを創ろうと思っていないのでげすよ」
N:自分をルーズベルトと比べてしまう。この傲慢さが好きだ。
P20
「映画監督の監督という二文字を解釈すれば、百科事典でげす。影を売る百科辞典は、名作古典と誰も考えないものでげす」
N:[小説]『生きいそぎの記』より。
影を売る、なんて言う自嘲的な人は、近くに居たら僕は決して好きにはなれないけれど、こうやってお話しの中だと大好きだ。なんのこんっちゃ。
それにしても『生きいそぎの記』とはいい題名ですなあ。藤本義一、渾身の一昨です。
P21
―思想堅固デナク、身体強健デナク、粘リト脆サヲモチ、酒ト色ニ興味アルモノヲ求ム。監督室内、又火鉢ノ川島―
N:撮影所に張ってあった川島組の求人広告。川島雄三はこんな張り紙を餌に弟子を釣った。釣られたのが藤本義一。
当時、オラがこれを目にしたら釣られたか?否。
オラは酒にはまったく興味なし。でも、それ以外の項目にはグラつく。
P25
「先生といってはいけない。先生という言葉には、小頭症的な響がある。絶対に先生と呼ぶな」
N:小頭症とは、頭蓋が先天的に小さく、大脳の発達が悪く、精神薄弱を伴うことが多い病気、とある。でもきっと、先生という言葉に、そんな響きは誰も感じないだろう。
うーん、師匠の屈折の仕方は、やはり尋常じゃあござンせん。
P29
「織田作の気取り、ダンディズム、あれ、ぼくのなかに、少し残っています」
N:川島雄三の異常に屈折した優しさ、あれ、僕の中にも欲しい。
P31
「師匠、一体なんの薬を嚥んではるんですか」というと、
「生きるための薬です」口許に歪むような嗤いがうかんだ。酔のまわったとろんとした目で、体は座椅子に埋もれた姿勢をとり、口許の歪みは暫く消えなかった。「死ぬ
ための薬でしょう・・・・・・」といおうものなら「死人は薬を嚥みません」といわれそうで、やめた。
N:凄い会話だなあ。人と人の魂がぶつかる音が聞こえてきそうだ。
P33
「お世辞をいう奴は嫌いだ。顔を見ればすぐにわかります。いかに清々しい処女面
をしていても、お世辞たらたらでこっちを喜ばす人間は嫌いです」
〜中略〜
「お世辞をいうのは、愛情のない証拠です。お世辞をいうぐらいなら、皮肉をいってあげた方が愛情です」
N:おお!オラもそう思うゾ。でも他人には、なかなか解って貰えないけれどね。
P36
「〜なに、時間はまだまだあるのです。今日のつづきは明日ではないのです。コン畜生奴!物書きに限らず、映画屋は、明日の奇蹟を信じなくてはいけないのです。今日書いてしまえば、もう明日はない、それは悲しいことだとは思いませんか」
N:そう思います。そう思いますけど・・・・。川島さん、あなたは今の時代に生まれていなくて本当に良かったですね・・・・・・。
今の時代、映画界には明日はないのです。
P37
「そうです、いいです、素晴らしいです。謡曲、茶道、俳諧、華道に書道、なにもかもいっしょくたにした不幸もまたいいでしょう。なに、苦しいだけです」
〜中略〜
「主人公は、そんな男にしよう」
「そんな男て、どんな男ですか・・・・」
「つまり北の春のような性格・・・」
「はあ・・・」
「わかりませんか、師匠。なにもかも出来るお人好し野郎。これ、天文学者を土台にするのだ。よし、決定です。なにもかも、いっしょくたにした不孝者。生き急いでいる不孝者がいい」
「生き急いでいる・・・」
「そう、死に急いでいるのではなくて、あくまで、生き急いでいる阿呆な男、これは滑稽奇抜です」
N:『貸し間あり』のころの川島雄三と藤本義一の会話です。
ここで提案。
生きいそいでも死に急いでもいない、それでいて不幸な男はどうでしょう?
そう、オラのことです。
P41
「あの人は撮影終わった時には監督料は全部遊興費になっているんや、昔から・・・」
N:ある助監督さんの話しです。
淋しかったんやろなー、と思います。
P46
「人間とはおかしなもんだと思わないか。君、鼻汁や痰を出してから見ないかねえ。ウンコも見んかねえ。いや、見るものです。人間は、自分の汚物にも生きている証拠を見ようとして、愛情を覚えるものなのです」
N:そういえば、男は出した精子も見ようとしますよね、ね、ね、そこの人。
P53
「帰る時、別れる時には、サヨナラといわなければいけません」
N:うへー、きびしい人ですなー。
P55
「人間なんて、一生に、なにほどのことも出来ないです。一生懸命になにをやったとしても、出来ないです」
N:その通りでゲスが、師匠、それでも一生懸命にあなたは生きようとしましたね。
P58
チヂンデイク恐怖。
これに耐える精神力はおれにはない。縮んでゆく恐怖に照れ隠しをもつという偉大な精神力のおれは脱帽した。
〜中略〜
おれは監督の身辺に起こるほんの些細な事柄を常に「生」と「死」の比重に置いて考えるようになっていた。出会った当初の頃に、監督はおれに、君の友人で自殺した人がありますかと聞いたことがある。あります、シナリオをやっていた男が、才能がないと悲嘆の末に服毒しましたと答えると、監督は嘲笑する口調で、才能がないなんぞというのは贅沢ですといったものである。
N:うん、キツイぞ。胸が詰まる思いだ。ああ、キツイ。
P61
「第一稿とはなんですか。決定稿というべきです。シャルル・スパークの言葉でげすが、シナリオを斬れば、その断面
から血が流れるというのを憶えておいて下さい。文学の世界は、真剣にでげす」
N:文学だけではないでしょう。貴方にとっては映画の世界、そして生きることが真剣なんでしょう。ね、師匠。
P80
おれは十数年を経て、恐山の賽の河原に立った。子供の形見の赤の襦袢の置かれた小さな石の重ねにこびりついたろう蝋涙に川島雄三の口惜しさを見た。
N:こんなものすごい言葉で『生きいそぎの記』をシメてしまった。藤本義一の壮絶さに脱帽。
師匠も師匠なら弟子も弟子だ。
P82
〜あの人の場合、テレ屋で、ハニカミ屋で、それでいて厳しいという全然別の意識を持った方だから、〜
N:[インタビュー]個癖集団は光で透明に・・・(聞き手=KAWASIMA CLUB)
どんな人やねん。恐ろしい。
P88
〜子供みたいに遊んでいた。いたずらっ子みたいな感じもしましたよ。僕は唯一共鳴しましたね。絶対苦しいと言わないのね。凄い寂しさみたいなものを感じましたね。〜
N:オラはすぐに苦しいと言うゾ。根性ないからな。だから、ダメなのかな。
next rec.
|