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◎小田島雄志『舞台人スナップショット』(朝日文庫)
P210 そう言えば、サミュエル・ベケットは「ならして見る」巨大な目をもっていたらしい。「ゴドーを待ちながら」で彼はこう言っているのである、「世界の涙の量
は一定だ、だれか一人が泣き出せばどこかでだれかがなきやむんだ」
N:僕は川崎徹版の「ゴドー待ち」に出演したことがあるが、このセリフはなかった。いいセリフなのに・・・。
P244
「銀座百点」(94年03月号)の座談会で彼から三島由紀夫のことばを聞いた。「役者たちが、どうしておれの芝居になると気取りやがるんだろう・・・飾りたてたセリフを、なにげなくしゃべって、スリッパや下駄
のように使ってほしいんだ」。それができるのも、美輪(明宏)の魅惑の「不可思議」の一つだろう。
N:でもさぁ、三島さんがそう言ったからって、彼のつくったセリフをスリッパや下駄
のように扱ったら、彼はキット胸をヒクヒクさせて怒るんだろうなぁー、怖いなー。
P270
〜女優はほかの人種とちがう成長のしかたをする〜
N:藤真利子の章で。
僕は、人間は男と女と女優の三種類だと思っています。
◎熊井啓「映画の深い河」(近代文藝社)
P122
田中(絹代)さんが会社の送りの車を使わなくなったのは、老いてるからといって他人から同情を受けたくなかったことと、役柄からいって車で帰るなどという贅沢は許されないと考えたからであった。
N:「サンダカン八番娼館・望郷」(1974)の時の撮影秘話。
立派な女優魂だと思います。そんな魂を持ったお方は、今の時代におりまへん。あっ、おったおった、藤山直美がおったでー。
P130
「そんなに簡単に決めないでください。私は溝口先生をお仕事では尊敬しますけれど、理想の夫ではありません」と、ムキになって言ったんです。実際、溝口先生を夫にするという気にはちょっとなれないです。聞いたところによりますと、先生はできることなら、自分の奥様を自分のつくった映画の役そのままの服装で、床の間に飾って、それを眺めながら酒を飲んでいたい、と言ってらっしゃったそうです。これは不気味ですよ。異常です。そこまでいくと、ゴッホに近いです。あの先生が女性を描く心理って、そこまで行ってるんです。ほんとに恐ろしい。
N:その昔、溝口健二監督と女優田中絹代の結婚説が流れたときのことを振り返って、田中さんが言った言葉。
田中さんにとっても、溝口さんにとっても、よかったことだと思います。僕は自分の子供達に言いたい、女優と映画監督とだけは結婚するなと。
P255
人は自己と異質なものと激しく出会ったとき、はじめて自分というものと、自分が育ってきた世界とを意識する。
N:そして、このときのココロの“揺れ”が後々にトラウマとなって黒い闇のココロを創るのです。
◎関川夏央「昭和時代回想」(NHK出版)
P128
待ち時間に限りがあるとはまだ身に沁みては思えないものの、だらだらと日を過ごすのは、よほどの人物でなければ、じきに苦痛になる。寝ていたところで、いやでも目が醒める。目が醒めれば腹が減る。腹だけではなく、頭だってなにかすることをくれと騒ぐのである。つくづく人間はぜいたくな生き物だと思う。
N:だらだらと日々を過ごせるオラは、よほどの人物なのか?否。
ただのバカである。悲しい。
P131
〜つらくても、おもしろいですよ。字を書くのは大嫌いですが。なにを、どんなふうに書こうか考えるのはわりあい好きですから。おおげさにたとえると、娯楽的な地獄に日々生きているようなものです。
それに、と私はつづけた。
現代のストレスというのは、おもに人間関係からくるんでしょう。いやな課長が隣にすわっていて、無意識に課長を避けているうちに斜頸や難聴になるとか。ところが、私の仕事には難しい人間関係がありません。いやなひととはつきあわなければいい。収入が減るだけで職業を絶たれるわけではないですから。
N:オラの場合、問題は人間関係というよりも、自分自信との関わり、つまり自分関係でストレスが生まれます。どないしよー。
P151
〜ほんとうは女がこわいからである。たんに強いものを恐れているからである。生活の持続への忍耐力、日常との戦闘力、それから王様は裸だと見抜く能力、すべての面
でとうていかなわないと思っている。
かなわぬまでも敢然と女性に立ち向かい、いわばさわやかに敗北するのが男の本分と知りつつ、根が懦弱なたちでつい腰が引ける。必敗の信念が足りないのである。
ひとりで生きるのはさびしい。ふたりで暮らすのは苦しい。どちらかといえば、さびしいほうがまだがまんできそうである。要するに、ひとり暮らしは主義でも信念でもなく、まして「自由」のためなどではない、ただの逃避です。
N:僕の場合、家族と暮らしていても逃避と言われます。なんでだろう。
P153
ところで、私がいい年をしてシングルでいるのは生活上のクセ、またはまったく自慢できない「個性」のゆえだが、いいわけを含めていえば、家族の崩れと人間関係障害のストレスの深刻化など、日本社会の変質とも深いところでかかわりがある。
家族には成長があり、拡大する喜びがある。満つれば欠くのは世のならいだから、全盛には落日がしたがう。コドモが長じるとき、いずれ家族には解散がくる。
一方、ひとりものには成長期も全盛期もない。だから落日も解散もない。ひとりで生活を律した、さびしい安定のみがある。
しかし年を重ねるうち、いやな気分にもなる。中年ではシングル生活に苦を感じないが、老後を考えると気がめいる。いまだって歯は抜ける、目は弱る。おまけに物忘れがひどくてなあ、とぼやいたら〜
N:さびしくても安定があるぶんだけ関川さんはシアワセだと思うのだが、どうだろう。
それにしても関川さんの文章は個人的にスゴク好きだ。さびしくて、むなしくて、それでいてあかるい、なんじゃそりゃ。
◎高間賢治『シーナ映画とコーキ映画』(晶文社)
P55
「映画製作では十日に一回、困ったことが起きる」
N:まるで人生のようでしょう。モノ造りは人生の縮図なのです、なーんてナ。
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