bo-bo-記 rec.0139 01.09.08



抜き書き―『本牧亭の鳶』他3冊」
  


◎吉川潮『本牧亭の鳶』(新潮社)

P66
〜博奕は場で朽ちるってくらいで〜

N:博奕は“場朽ち”だったのですね。なんとなくこのほうが枯れた美学があっていいですね。
 ところで、この単行本は六つの物語りから編ってます。
 物真似芸人丸山おさむをモデルにした『九官鳥』。コントレオナルドの石倉三郎とレオナルド熊の息子が、もし将来コンビを組んだらという設定で書かれた『借金王』。百面 相の波多野栄一をモデルにした『カラスの死に場所』。登場人物全員が実在の人物の『梟の男』。まったくのフィクションの『老鶯』。セミフィクションの形式をとった、下足番の中村勝太郎と講釈師の群像劇、『本牧亭の鳶』。
 どれも粒揃いで、面白い。なかでも『借金王』が個人的には好き。
 あと、『本牧亭の鳶』では、おもわず落涙してしまいます、グスン。

◎立川談志『酔人・田辺茂一伝』(講談社)

P13
〜誰かが、尊敬できる人とは、自分に無いモノを持っている他人(ひと)で、その己に無いモノが欲しい、が、それは無理、という人のことだ、ってなことをいっていたが、〜

N:僕には尊敬する人物がいません。それは、僕にとって尊敬できる人は、この世に生きていても寂しさを感じない人だからです。

P187
〜いい奴っていうのは、早い話が、己にとっていい奴を“いい奴”という。もっといやぁ“都合のいい奴だ”。こっちにとって“いい奴”ではあるけれど、向 こうの了見はどうだったのだろう。

N:どうだったのだろう?ひとりひとり確認してみようか、でも、キット悲し いことになるにちがいないので、よしとこう。

◎和田誠『指からウロコ』(白水社)

P119
「もし空が海に向かって落ちてこようとしても、気にしない。私があなたを気にし、あなたが私を気にしているかぎり」

N:アメリカの音楽家ガーシュイン兄弟のつくった歌「フー・ケアーズ」の一 節。「愛の賛歌」「スタンド・バイ・ミー」など、愛の歌はみんな“たと え”がオーバーだが、恋をしている二人にとっては、たとえなんかではな くマジな話なのだ。こわいこわい。

P168
「勝ち続ける奴はいない。たまにはいるがそんな奴は健康をなくす。それでも丈夫な奴は人間をなくす」

N:和田さんが「麻雀放浪記」の作者阿佐田哲也=色川武大の口から聞いた言葉だそうです。うーん、こわい言葉ですねぇ。

P170
「宮本武蔵なら修行するほど上に向かう。この小説に出てくる連中は麻雀が上達するほど下へ向かう。そこが武者修行とは違うところなんだ」

N:これも阿佐田さんの言葉。この小説とは「麻雀放浪記」のこと。
 芝居も同じことが言えます。上手になると魅力がなくなります。しかーし、それでも続けていくと、それはそれで味になることもあります。なんじゃそりゃ。

P191
「事実と伝説があるなら、伝説を事実にするのだ」

N:ジョン・フォードの「リバティ・バランスを射った男」のセリフらしい。
 事実と嘘があるなら、嘘を事実にするのだ。うーん、出来るのかそんなこと。

P205
 指揮者のカッコよさは、大勢の人間を統率し、掌握し、一つの表現に向かわせることだろう。男が憧れる仕事として、指揮者と野球の監督がよく挙げられる。連合艦隊司令官を加える人もいる。映画監督が加わることもある。映画監督だけはぼくも一度体験したが、ぼくの場合はカッコいいと思えなかった。大勢の人間を、自分のやりたい表現に向かわせる点は同じだが、結果 を観客に提出するときには監督はもういない。やはり裏方の一人なのだ。指揮者の場合は表現する現場が聴衆の前である。そして指揮者が主役のように見えることが多い。やはりカッコいい。

N:なるほどねぇ。人を支配している姿を客に見せてナンボの世界なのですね。
 でも、それにしては客に尻をむけたりしていて、あまりカッコよくないのでは・・・。

◎川本三郎『東京残影』(河出文庫)

P113
 自分は過去に戻ることも出来ない。現在に同調することも出来ない。分裂病になることも出来ない。とすればただ不安定な心を抱いて日々をやり過ごしていく他ない。つげ忠男の新しい作品がわれわれの胸をうつのはこの醒めた意識があるからである。

N:「戦後から遠く離れて」の章で、漫画家のつげ忠男の「けもの記」について書いてあったところ。
 川本三郎を僕がキライになれない理由は、こういう言い方をしてくれるからです。

P119
小津安二郎の遺作「小早川家の秋」のなかで原節子のいう名セリフは文学の場でも正しい。「品行は直せても、品性は直せません」。文学がおそろしいのは、この「品性」にかかわる営みだからである。「品性」のない人間に、いくら澁澤龍彦の「ランティエ」の魅力を語っても空しい。

N:「ランティエの余裕と孤独」の章で。
 うーん、人間のもつ品性と品行。むずかしいですねぇ。役者の場合、品性のない演技は、色気がないことだと僕は思います。

P167
佐藤春夫の年譜を見ると大正九年に「神経衰弱」になったとあるが、私にはこれは彼が現実に神経衰弱になったのではなくむしろ詩的、特権的な意味で感受性を意識的に鋭敏にさせた状態ではないかと思えてならない。

N:「温室のなかの夢」の章で。
 感受性を鋭敏にすると、僕の場合、周りの人からキチガイと言われます。 ナゼかしらん。だから、あまり鋭敏にしないように気をつけております、 ハイ。

P261
「自由とは何でも手に入る状態ではなく、失うものがなにもない状態だ」

N:「小さな桃源郷」の章で。
 じゃあ、今のオラは自由だ・・・・・うーん・・・なにかちがうぞぉ・・・

P262
「温泉に行くってことは、ともかく怠けに行くことですよ。仕事の垢を落として、ただただ怠けて、それがいいわけです」

N:同じ章で。つげ義春の尊敬する大石真人の言葉。
 じゃあ、温泉好きのオラは怠け者だ、なっとく。

P262
旅の窮極は「蒸発して行方をくらますことだと思うんです」

N:同じ章で。これはつげ義春さんの言葉。
 うふふ、つげさんたら、何を言っても偏ってるんだからん。

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