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僕は親戚付き合いが苦手です。苦手というよりは大嫌いと言った方がいいかもしれません。小学校の頃から、春・夏・冬の学校の休みには親戚
の家に預けられた僕は、大人の顔色を窺いながら生きることを義務づけられ、そこでは自分を出すことは禁じられました。遠慮しないで自由にしてね、と親戚
の人達は言うけれど、それはウソで。自由になんかしたら親の悪口を言うに決まっています。大人のタテマエはうんざりです。確かに両親が死んだときには親戚
の方々にいろいろと世話にはなりました。だけど、僕や兄貴の前で、今回の心中(僕の両親は心中している)はどっちが先に誘ったのかと、いろいろ週刊誌のネタのように詮索をしたのも事実です。両親が死んだのは別
に僕のせいではありません。それをいつまでも、あのときは・・・・、などと恩着せがましく言われてもなんだかなであります。こう書いていてもきっと、僕の方が甘えている、ということにされるのだと思うけれど・・・・まっ、いいか。とにかく今の僕は、まともに親戚
付き合いさえ出来ないお子チャマです。
で、その延長なのかどうなのかわからないけれど、細君の御両親ともあまり素直に接することができません。御両親の人柄がいい悪いは関係なく、どうも身内の存在というものに面
倒臭さを感じてしまう僕は、御両親との心地よい距離感がつかめなくて困っているのです。細君は二人姉妹の長女。次女の方も既に結婚していて、その旦那さんがとても人なつっこい人で、御両親ととてもうまくやっていることも、僕が困ってしまう理由の一つです。決してそんなことはないのでしょうが、なんだが比較されているような感じがして被害者意識が強くなってしまって、どうせオレなんか・・・・、というイジけた気持ちになってしまうのです。41歳になったというのに情けない、トホホホ・・・・。
まあ、妻の実家というのは、男にとって居心地の悪い場所ベスト3に入るぐらいの場所なのであまり悩むことはないのですが・・・。
僕の知り合いの中には変わった人もいて、カミさんの実家が世の中で一番落ち着くと言いきる変人がいます。シンジラレナイ。そんなヤツはよっぽどできた人か、かなりのバカだろう。僕の知り合いの場合は間違いなく後者だと思います。かわいそうに・・・。
先日、そのカミさんの御両親と僕とカミさんの四人で、2泊3日、新潟は越後の十日町に旅行にでかけました。
一日目。
11時30分。東京駅上越新幹線のホーム、自由席禁煙車の前集合。 僕たちがホームに着くと、御両親は既に御到着済み。伊東四郎と津川雅彦を足して二で割ったような義父と、司葉子と高峰三枝子を足して二で割ったような義母の二人は、なかなかのフルムーン・カップルです。実はこの日の細君は風邪を引いたみたいで、朝から具合がよくありません。ただでさえ御両親に気を使うのに、そのうえに細君です。今回の旅行はスタートから気が重い。
新幹線に乗り込むとさっそくお昼ご飯。義父は銀座ハゲ天の天丼弁当、義母はバッテラ鮨、細君はビビンバ弁当、僕がまい泉のカツサンド、とみんなバラバラ。それもそのはず僕と細君と義父の血液型がB型で、義母がO型、まとまりを望む方が間違っているようです。
1時間30ほどで越後湯沢に到着。そこからJRで十日町へ。 定年まで東京電力で働いていた義父は、東京に転勤になるまで、この十日町にもいたことがあるそうで、僕の細君は小学校の低学年まで新潟で過ごしたそうです。
ホテルの御迎えのバスが来るまで40分ほどあるので、町をぶらつくことに。
僕は見知らぬ町をぶらつくのが大好きです。そこには見知らぬ風景が拡がり、見知らぬ
空気が流れ、見知らぬ人々が生活を営む。僕は僕自身、自分を見知らぬ人に置きかえることができます。僕は僕の知らない人。そんな感じに自分を置くことができるのです。そして数分もすれば、オーバーな言い方だけど、その町の風になれるのです。不思議なものです。それにしても細君の風邪がすぐれません。クシャミを連発させます。
細君「私、スーパーでトレーナー買ってくる」
義母「じゃあ、私も行こうかしら、スーパー」
義父「こんなところまで来てスーパーなんかに行くの?俺は町を散歩するよ」
義母「じゃあ、散歩してらして下さいな。バス停で待ち合わせしましょ」
細君「(僕に)あなたはどうする?」
僕 「お、お、お、おれも散歩を・・・」
したいのだが義父と二人では緊張してしまうし、ましてや風にはなれない。どうしよう・・・。そう思案している間に細君と義母はスーパーのある方角へ、義父は商店街の方へ歩きはじめてしまいました。
ええいままよ、と僕は義父の後を追いはじめました。 義父は僕が後をついて来ているのを知りません。なんとか早めに声をかけなければ、キッカケを失ったらズルズルとドツボにハマッて行きます。でも、なんて?僕は悩んでしまいました。この場合どのように声をかけるのが一番良い方法なのでしょうか。
「いやー、女性陣にはまいりますよねー。こんなところまで来て、スーパーですものね」
と義父の肩をもつか、
「お義父さんについてきちゃいました」
そう言って甘えるか。ああ、できないできないそんな器用なこと。できるんだったら今まで苦労はしていない。あっ、それとも素直に、
「一緒に風になりませんか」
って言ってみるか。ダメダメ、ただでさえ偏屈な人と思われているのに、これ以上変に思われたくはありません。
で、どうしたかというと、
「いい空気ですねー、気持ちがいい」
そう普通に言ってみたのです。
義父はちょっとだけビックリしたように振り向きましたが、
「ああ」
と言って、後を追って来た僕を受け入れてくれ、並んで十日町の商店街を歩いてくれました。
「商店街がきれたところに小川があるはずなんだが・・・」
そういって義父は歩いて行きます。
僕は会話を続けようと、
「どうです?町に昔の面影あります?」
「ない」
ハッキリ言われて返す言葉がありません。困ったなー、何を話そうかなー、そう思っていると赤い橋が見えてきました。
「あれじゃないですか」
「おお、あれだあれだ」
65歳を越えた義父にとって過去を振り返るのは嬉しいことなのでしょう。
義父の嬉しそうな言葉に僕もホッとしてきます。
「橋の近くに旨い蕎麦屋があったはずだが・・・もう・・・ないか・・・」
「それはいつ頃の話ですか」
「30年前」
そんな昔の話をそうキッパリと言われても・・・・。そんなもんあるわけないやないか、僕はまた返す言葉を失いました。
そうこうするうちにバスの時間が来て。僕らはホテルに向かいました。
この日の義父は機嫌がよく、夕食の間もズーっとニコニコとよく喋っていました。義父の機嫌がいいと義母が不機嫌になるのがこの夫婦の面
白いところ。義母は、明日は早いからと、早々に寝てしまいました。
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