bo-bo-記 rec.0142 01.10.05



抜き書き―『中年シングル生活』他3冊」
  


◎関川夏央『中年シングル生活』(講談社文庫)

P85 「我我を恋愛から救うものは理性よりも寧ろ多忙である。ウェルテル、ロミオ、トリスタン古来の恋人を考えて見ても、彼等は皆閑人である」

N:芥川龍之介の言葉らしいのですが、この言葉に説得力があったのは昔の話だ と思います。現代人は恋も仕事も趣味も、多忙な人ほどいたします。それで、 体を壊して倒れていくのです・・・。 オラなんか、暇は腐るほどあるのですが、恋なんかよりも、これからどうやっ て生きて行こうかなぁ、とつい考えてしまいます。悲しいです。

P123
 何日も電話が不通になっているのをあやしんだ親族が品川の家を訪ねてみると、小川徹はもう死んでいた。どこかへかけようとしたのか、あるいは誰か遠い昔の女友だちから電話を受けたものか、受話器を握りしめたままだった。
 マリリン・モンローも受話器を握っていたが、彼女はシャネルの香水のかおるベッドにいた。小川徹が冷たい体を横たえていたのは、ゴミの山と猫の排泄物が厚く堆積する部屋の三十年間敷きっ放しという異臭漂う万年床の上だった。ひとりものの、それは壮絶すぎる死にかただった。

N:60年代から80年代末まで雑誌「映画芸術」を主宰していた映画評論家の小川徹は1991年69歳で死んだそうです。 本文にあるように受話器を握りしめたまま死んだ彼は、何をしようとしていたのでしょうか。非常に気にかかるところであり、謎を呼びます。でも、 ただ電話の時報を聞こうとしていただけかもしれません。もし、そうだとしたらこちらもホッとするのですが・・・・。

P154
 森瑤子は1987年にバンクーバー近郊に三万坪の無人島をひとつ買った、とその最後の本「マイ・ファミリー」に書いている。自分のためではない。家族のためである。
 やがて別荘が完成してやってきた三人の娘たちは「なあんにもないじゃないの」といった。島には果 物が多く自生している。北の海の魚や貝も無尽蔵だ。なのに彼女たちは興味を感じない。すばらしい海と空気には満足しないのである。
 で、翌年は彼女たちの気をひこうとプールとテニスコートをつくることにした。
 しかし本土から離れた島だから、ことは簡単ではない。まず機材運搬用の船を買い、ミキサー車とブルドーザーを買った。職人たちは水上飛行機で通 ってくる。プールができあがると、そこに入れる水を買った。島に水はないのだ。
 わざわざ船で運んだ水は、世界でも有数の高価な水になった。
 しかしつぎの夏休み、娘たちはテニスには三日で、プールにはひと月で飽きた。あとは音楽と衛星放送ばかりの日々である。
 そしてつぎの年にはもうだれもこなかった。そこで森瑤子が友だちも呼んでもいいというと、それぞれがヨーロッパと日本からの友だちの分の飛行機代を請求した。しかし、それも一年きりで終わった。
〜中略〜 
 彼女は家族に去られてひとりぼっちになることを本能的に恐れていた。
〜中略〜
  そんなふうに家族に注ぎこむお金を稼ぐために、ホテルで朝刊とコーヒーを届けられて、「え?朝なの?」とはじめて気づくほど働いた。彼女は自分の羽を抜いて小説という織物を織り出すツルのようだった。
〜中略〜
 七十三歳まで生きるつもりだったのに、「戦死」したときの年齢はまだ五十二歳にすぎなかった。

N:親というものは必死になって子供を自分のところに引き留めようとします。その思いが強ければ強いほど、子供はそこから必死になって逃げて行こうとして、死ぬ までイタチごっこを繰り返します。なんでかなぁ、キット淋しいんでしょうね、お互いに。.

P185
「人生は短いと思えば意外に長い。うかうか油断していると、唖然とするほど短い」

N:僕の知り合いのO君のポコチンは短いかと思えば意外に長い。でも、うかうか油断していると、唖然とするほどススーっと短くなってしまう。

P250
ひとりで生きるのはさびしい。しかし誰かと長くいっしょにいるのは苦しい。

N:ひとりで“イク”のはさびしい。しかし誰かと長くいっしょに“イク”のは苦しい、というより疲れる。

◎和田誠『お楽しみはこれからだPART6』(文藝春秋)

P182
「いい奴をいいと思うのは理屈じゃない」

N:ご存じ、和田誠の映画の中のいいセリフ集。
 これはゲイリー・シニーズ監督主演の映画『二十日鼠と人間』からのセリフ。 原作はジョン・スタインベック。ジョン・マルコビッチが知恵遅れの青年を演じたのですが、演技がクサ過ぎて僕はダメ。ゲイリー・シニーズもあまりよくありませんでした。
 僕はこれの日本版を大川興業の松本キックとハウス加賀谷でやりたいとつねづね思っていました。だけど、ハウス加賀谷さんはどうやら引退したらしい のです。残念です。そういえば大川豊総裁は総裁の座を退き、新総裁には江頭2:50が就きました。そして大川総裁は前総裁になりました。新総裁襲名記 念公演「悪い人も積もればお金となる」を下北沢の本多劇場で観たのですが、 これがとても面白く演劇もまだまだ捨てたもんじゃないぞ、と思いました。松本キック、江頭2:50、寺田体育の日、プチ鹿島、みんなとてもヨカで、芝居がうまいへたと言うよりも、人がちゃんと人として舞台の上で存在していました。大川豊の力量 に拍手です。

P225
「女と酒は似ている。どっちもくだらないが、ないと生きられない」

N:ジョン・ウェイン主演のB級ウェスタン。頑固爺いのジョージ“ギャビイ”ヘイスのセリフらしい。
 僕は酒を飲まないので、酒がくだらないかどうかは、よくわかりませんが。 細君に言わせると、酒は“人生になくてはならないもの”らしいです。

P238
「空はどんな人の上でも青いわ」

N:「縮み行く人間」のセリフ。
そうね、自然はいつも平等ね、嬉しいことね。

◎和田誠『お楽しみはこれからだPART7』(文藝春秋)

P7
「人も国も、変わる時が必ずくる」

N:映画「黒船」から。ジョン・ウェイン演じるハリスのセリフ。
でもさ、ちっとも変わらない人や国もあると思いませんか、ねえ、どうよ。

P17
「一目惚れは愛じゃない、発作だ」

N:「嘆きのテレーズ」より。
一目ぼれが発作だとすると、じゃあ、愛ってなあに。癌の一種ですかねぇ。

P49
「自分を知ることが喜劇の原点だ」

N:映画「チャーリー」におけるチャップリンのアマチュア時代、初めてコメディアンとしての仕事をくれる座長が彼に語る言葉。 知ろう知ろう、自分を知ろう。知ろう知ろう、姿三四郎。知ろう知ろう、伊東四郎。知ろう知ろう、岸辺シロー。おそまつ。

P214
「夫も兄弟もいないのにパジャマを買うのは恋人がいるからです」
「叔父さんにあげるのかもしれない」
「何故ズボンだけを?」
「愛には謎が多いものです」

N:我が家の次女もパジャマのズボンだけをはく不思議な人です。もうひとつ不思議なのは、彼女、学校へいく一時間半前に起きているにもかかわらず、 必ず遅刻をすることです。うーん、わからない。

◎矢沢永吉『アー・ユー・ハッピー?』(日経BP社)

P09
「成りあがり」でも書いてるけど、ほんとに貧乏だったけど、おばあちゃんは教えてくれた。誰に頼ることなく、自分の手で金を稼いで、それで食べていくのが いちばんカンファタブルなんだっていうことを。

誰かに依存していたんじゃ、カンファタブルにはなれない。誰かの情けやら義理やらをあてにして、もたれかかっていたら、いつでも不安に脅かされることになる。 オレは、いま生きるのがつらいって言ってる人は、やっぱり、どこかに自分の行き方を自分で決められないって背景があると思うんだ。
 誰かの身勝手だの、景気の流れだの、自分じゃないものの決めた通りに流されるんじゃ、不安になるのは当たり前だからね。
 依存から離れるってのは簡単なことですよとは、オレだって言えない。 だけど、やっぱり、そうなんだ。かんじんなのは手前の足で立つことなんだ。

N:僕は「成りあがり」を書いたころの矢沢がいちばん好きです。後楽園球場でコンサートをやったときが、彼の人生の“上がり”だと思っています。したがって、その後の彼の人生は、バランスを取るための消化試合で、消化試合を一生懸命戦っている戦士、という気がします。でも、それって、とてもカッコイイことだと思います。 

P243
 オレは、サクセスしたら、すべてが手に入ると思っていた。 そしてオレはサクセスした。金も入った、名誉も手にした。
 だけど、さみしさは残った。
 おかしいじゃないか。オレは思った。
 すべてが解決するはずなのに、さみしさがあるなんて。ハッピーじゃないなんて。
 こんなはずじゃないとおもった。
 そう思ってふと見ると、幸せってレールは隣にあった。オレはそのレールに乗っていなかった。
 それから矢沢の幸せ探しが始まった。

N:僕はなんとなくそれに気づき、幸せのレールに乗ってみました。だけど幸せのレールは僕にとってはとてもシンプルで、《細君と二人で沈む夕日をいつまでも見ていたい》的なことで解決してしまうのです。だから、わりとすぐ“僕シアワセ”と言えるようになりました。それって、ある意味で“不幸”だと思うのですけど・・・。どうでしょう。

P270
「ツッパリっていうのは、何か圧力がかかったとき、倒されないようにしようっていう力がツッパリじゃないか」と糸井重里は言った。アイツはいいこと言う。

N:久しぶりに矢沢節を耳にして思ったことは、矢沢の言ってることは少しも間違っていないし、その通 りだと思うのだけど、ちっともカンファタブルにはなれない、ということ。同時期に読んだ高田渡の『バーボン・ストリート・ブルース』を読んだときの方がカンファタブルになれたのはなぜだでしょう。きっと矢沢の語り口に力が入っているせいだと思います。もちろん50歳を過ぎても、肩いからせて喋るのは、それはそれで素敵だとは思います。だけど、それがキット僕にとってはカンファタブルではないのでしょう。でも矢沢のおかげで我が家では“カンファタブル”がおお流行り。 うちの娘なんぞは、明日のお弁当にソーセージが入っていると私はとってもカンファタブル、などと言っているのですが、これって使い方が少し違うと思う。まっ、いいか。

 next rec.

 

(C)ChildishWorks&PlayHouse 2000, All rights reserved.

 

HOMEProfileActivityWhat's bo-bo-bo-bo-recordMailmagazine