P24
ヒトラーの宣伝省の前置きはこのへんにして、彼の情報活動と、それをゲッペルスがどう生かしたかを、『わが闘争』からピックアップする。
・宣伝は武器である。
・宣伝は大衆に対してのみ行う。
・大衆の付和雷同性をつかむ。
・大衆の英雄崇拝を利用する。
・宣伝は重要らしくみせる。
・大衆とは女性だ。
・大衆は感情と情緒で動く。
・宣伝は繰り返すことが重要。
N:世界の電通はいま現在、これをまるっと実行しているように思えるのだが・・・どうでしょう。
P66
ヘンだといえばドレミの歌を「ドはドーナツのド」と歌っているが、音階でいうならば「ドはドーナツのミ」なのだ。
N:僕は音痴なのでどうしてもドはドーナツのドになってしまう。悲しいかな。
P90
その時(終戦の日)、級長だった村の子が教壇に上がった。
みんなの視線が級長に集まった。
「先生が切腹するって言った」
僕たちはうなずいた。
「ここで切腹するって言った」
おそらく全員がうなずいて唇を噛みしめていた。そして級長の次の言葉を待った。
「ここで切腹するとしたら、その日の掃除当番を増やしたい」
僕たちは、強くうなずいた。
N:僕だったら“その日”の掃除当番には決してなりたくはない、決して。
P176
僕は浅沼委員長にディズニーの「わんわん物語」のブルドッグの声で出演してくださいと交渉に行ったことがあり、その約束も果
たしていただいた。当時、現役の政治家が声優になったのは画期的なことだった。
N:今だったら土井社会党委員長が映画「シュレック」の馬の声を演じるようなものだろう。恐ろしい。
P210
九十八年ゴールデンウィークの最中に丹下キヨ子さんが亡くなった。
「誰にも逢いたくない、私が生きていることを誰にも言わないように」
中学生の時から可愛がってくれて、僕の名前を最初に活字にしてくれた女性が亡くなった。
生きていることは黙っていたけれど、亡くなったことは、ここに書き、あらためて感謝とそして合掌。
N:「誰にも逢いたくない〜」と丹下さんに言わせるほど、何が彼女を追い詰めてしまったのだろう。気になるところである。
P213
さてこの年、僕は市川崑監督にシナリオを書くようにすすめられる。
作品は「トッポ・ジージョ」。
イタリア生まれのネズミが主人公であったが、監督は鬼才にして巨匠。
くわえタバコのまま僕のシナリオに注文をつけるのだが、そのつけ方に面喰
らった。
「ここんとこ、もっとパーッとなって、グングンといくように、そうすればバーンとなってグシャグシャになるから、そこからピーンとして、バシッと決ま
るように書き直してほしいんだよ、わかるね」
・・・・・ワカラナイヨ!
この調子だから、監督の満足いくシナリオになるわけがない。
疲れきっても休ませてもらえない。
僕は情けなくて泣きだしてしまった。
その時の監督の言葉。
「おい、泣いたってホンはよくならないんだよ。だいいち、その涙は水じゃないか。男が泣くなら、血の涙を流せよ。赤い涙が出てくるまで泣けよ」
くやし涙を流しながらシナリオは完成し、僕は撮影現場にも立ちあわせてもらった。
そしてこれが僕のスタッフとして映画にかかわる最後の仕事になった。
N:映画監督なんて本当にワガママなものです。でも、ある意味ワガママでないとイイ作品は残せません。難しいところです。
P257
僕が芸能座に出演を誘われたとき、芝居をしたことがないからと初めに断った。
そのときの小沢語録。
「あなた、芝居をしたことがないだなんてよく言えますね。
あなたがインタビューをする、知っている答えが返ってきたときも、ヘェーと驚く。知らないふりをする、それを演技というのです」
グーの音も出なかった。
N:グーの音は出なかったかもしれないが、パーやチョキの音なら出たのだろうか?聞いてみたいところです。
P47
渥美清の足跡をたどってきて得た私なりの結論は、すぐれた役者の多くがそうであるように、渥美清もまたきわめて孤独な人であった、ということだ。
多くのよき仕事仲間に恵まれたことは、没後のマスコミ報道で伝えられた。だが、それら仕事仲間による涙ながらのコメントや追悼文は、ひとしく渥美清にはほんとうに心を許した友達のいなかったことも伝えているように、私には受けとれた。家長田所康雄が二十七年かけてつくりあげた強固な家庭という殻を破いた友達は見当たらない。
多くのよき仕事仲間に恵まれるより、たったひとりの悪い友達を得た人生のほうが、仕合わせだとする考えもある。
N:うーむ。きっと渥美さんは死ぬまで自分自身を受け入れることを拒み続けたのではなかろうか・・・僕はそう思います。
P68
「この仕事に、もういいってことはないんですよ。若いときの失敗は、いくらでも取りかえされるんだ。けど、年とってからのやりそこないは、むし返しがきかない。だから、人生ってやつは、前半よりも後半を大切にしないとネ」
N:尾上多賀之丞さんの章で尾上さんのお言葉。
「人生なんてね。その人の心持ち次第で、80歳になったってやり直しはきくものよ」。これは今年18歳になる、わが家の長女の言葉。
P244
村松友視も言ってることだが、その藝人が好きか嫌いかという感情は、上手いかまずいかの判断を、時として越えてみせる。
N:村松さんの著書「トニー谷、ざんす」の書評から。
だからこそ表現は面白い。うまいへたじゃなくなることがよくあるんですよね。
P137
日常や、更にいって、人生のクライマックスでFINの救いが保障されるのなら、何も名画座の中に籠もることもないのだと思うほどで、裏返せば、適当
な時にFINを出してくれない現実は、恐怖に近かった。
N:何かあると名画座に身を置き自分を見つめる女の子の物語り「名画座の鼠―アルヌールのように」から
現実においてFINは誰が出してくれるのだろう。神様かはたまた死に神か、いったいどっちだろう。
P220
人間というもの、何か一つ常識以下の愚かさを業のように抱えていることが
必要で、どんなに困っても、その愚かさだけは手放さず、懸命に守ったり、尽
くしたりするのがいい〜
N:映画に携わった人達が集まる老人ホームの物語り「脱兎の園」から。
その“愚かさ"がきっと、その人らしさ、ということになるのでしょうね。
P223
テレビは少なくとも窓で、たとえ閉じ籠もった部屋にいても、一応の世界は
見える。しかし、ビデオは、窓にはなり得ず、むしろ冷蔵庫に近いもので、これじゃ窒息する〜
N:おお、だからか、どうも息苦しいと思った。早くビデオを消さなくっちゃ。