P138
他人の不幸は蜜の味、自分の不幸は小説の種
N:人ってサァ、会話の80%が人の悪口なのね。で、あとの20%が自慢話。あー、やだやだ。
P182
本は書店の棚に並んだ時がスタートで、読者の心の棚に並んだときがゴールなのだ。
N:それはごもっともなのだが、でもどうやって確認するう?
P188
「〜職業に貴賎はある。医者は人の命を救う技術を持っている。だから医者は偉い。ただ医者でも救えない患者の心を、小説が救うことがある。そういう小説家は偉い。けれど、偉い小説家がいるからといって、すべての小説家が偉いわけじゃない。―道は遠いぜ」
N:あとひとつ。偉い小説家が人として偉いかというと、それはどうかと思います。ハイ。
P210
「何かを得るためには何かを捨てにゃならん。だったら、何かを捨てたら何かを得ているはずだ。要はそれに気づくか気づかないか、だ」
N:オラはそれに気づきました。しかし欲が出て、もったいないとその“何か
”を拾いはじめたら、転んでケガをしてしまった。情けない。
P247
人は普通、予定を立てて生きている。ただ、自然は人知の及ばぬ先にある。
『人間に最も身近な自然、それは人間自身だ』というのは養老孟司の言葉だったか。
N:人生において最も予定のたたないものが自分自身の“死”なんて、人間て本当にバカだ。
P270
人はミスをして成長する。小説は、駄作だと煩悶しながら脱稿する勇気の向
こう側に傑作が存在する。
N:でも、それが売れるとは限らない・・・・・。
P284
「知るということは結果ではなくて行為だ。〜」
N:姦るということは行為ではなく結果だ。
P308
「〜人間の身体は、諦めるには強すぎて、期待するには弱すぎる」
N:まぁ、そんなに都合よくうまくいかないということです。
P310
「快適なときには人は死なん」
N:これは、あたっています。だけど病死に限ります。突然死はそれこそ突然にやってきます。当たり前だけど。
P333
〜『沈む日をみて泣いても昼は戻らない。星は夜輝く』〜
N:オラの心はいつ輝く?????
P86
雑誌のインタビューなどで、ギャグ漫画ってどういうものですか、などと聞かれた時、ぼくはよく、アミダクジを引きながら進むようなもんです、と答える。進めば進むほど、どんどん選択肢は少なくなる。新しいものを見つける可能性は低くなる。それでも、昨日と同じものは描けない。昨日と同じレベルのものを描けば、マンネリといわれる。いつも、絶えず進んでいなくてはいけない。次のことを探し続けていなくてはいけない。その上、ギャグは、力を入れれば入れるほど、読者が減る。面
白いものを描けば描くほどギャグはわかりにくくなり、単行本を買ってくれる読者は少なくなっていく。哀しいパラドックスである。
それに耐えきれなくなって、何人ものギャグ漫画家が心を疲弊させ、病んだ。いや、何人もの、というのは正確ではない。最前線にとどまり続けようと努力した、ほとんど全員がだ。もちろん、ぼくもそうだ。数年前、半年ほどほとんど仕事をしないで、毎日散歩したり、しばらく外国に出たりしていた。同業の友人のひとりにも、やはり一年近く外国に去ったものがいる。例外は、江口寿史くらいだ。彼は自覚症状が出たとたんに、とっとと逃げ出してしまった。なかなか賢明なやつだ。ぼくらは、白いワニが出たのを知っていながら、その場にとどまり続け、少しずつどこかを狂わせてしまったのだ。
〜中略〜
吾妻は、まだ本格的に仕事を再開していない。しかし、どこまでいこうと、ゆき止まりというものは、実は存在しない。どんな狭く暗い場所にゆき着こうと、目をこらせばその先があるのだ。
N:「ビッグ・マイナーの潜む場所/吾妻ひでお『夜の魚』」の章で。
笑いと狂気は紙一重とよくいうが。紙一重というよりイコールなのではない
かと僕は思う。だから笑ってばかりいる人ってハッキリ言ってキチ○イだと思う。
それにしても白いワニには会いたくないものだ。
P116
桜沢エリカは、作中でこう書いている。「いちばん欲しいものはわかってるそれはいつだって絶対手に入らないものだ」
N:「欠落を求めて、街へ/桜沢エリカ『世界の終わりには君と一緒に』」の章で。
僕の友人のH君はむかし、いちばん欲しいもの、それは女性が哭いて喜ぶパワフルポコチンといっていた。彼は今それを手に入れたのだろうか。たしかめてみたい。
P129
絶望的なのに明るい、日常なのに特殊だ。岡崎京子に、ぼくはたぶんついてい
くと思う。
N:「少年少女は河淵に立つ/岡崎京子『リバーズ・エッジ』」の章で。
僕もそう思っていた人間のひとりだった。だけど彼女はある日突然ぼくらの前から姿を消した。もう一度戻ってきて欲しいとせつに願うしだいである。
P132
書くことによって、自分も傷つくが他人も傷つける。いや、自分はそれで救われるところもあるが、他人は傷つきっぱなしだ。
N:「勝ったのは誰か/内田春菊『ファザー ファッカー』」の章で。
いや、中には喜ぶ奴もいる。それくらい今の日本人は鈍感になりつつあると思う。自分も含めてネ。
P203
彼女の漫画の登場人物たちの多くは、誰もが幸せになろうとしている。自分こ
そは普通の幸福を、この手に握り締めたいと切望している。自分の手に入れた
ものこそが、普遍的な本物の幸福であれかしと願っているのだ。しかし、まだ
誰も、それを手にしたものはいない。普通の幸福がどんな形をしているのか、
誰も知らない。それでもなお、誰もが自分の幸福を求めているのだ。
N:「少女はなにを求めるのか/内田春菊『水物語』」の章で。
幸福ねぇ・・・キット人って絶望を感じているときがいちばん幸福なのかもしれないなぁ・・・。