bo-bo-記 rec.0158 02.5.3



抜き書き―『私の嫌いな10の言葉』他4冊」
  


◎中島義道「私の嫌いな10の言葉」(新潮社)

P13
バーナード・ショーの有名な言葉「あなたが他の人びとに自分にこうして欲しいと思うのと同じことを、他の人びとにするな。なぜなら、彼らの趣味はあなたの趣味と同じではないかも知れないのだから」(『人と超人』補遺より)

N:要らぬお世話、ありがた迷惑、というやつですね。
僕は数年前、ある人から飲尿療法を薦められそれを実行していたことがありました。それによって、随分と身体は快復し、それからというもの、しばらくは人に会うとやみくもに飲尿を薦めていました。ある人なんか飲尿にハマッてしまい、自分ののみならず、父親や彼女の尿まで飲んで過ごしているという。うーん気をつけよう。

P75
曾野綾子さんは次のように言っています。

私は二年前、日本財団という組織で働くことになった時、幾つかのつまらない決心をしたが、その一つは決して財団を愛さない、ということだった。自分の関係した組織を深く愛すると、必ず権力を持ちたがり、人事に口を出し、組織の力を身辺の人に及ぼそうとする。私はそれらをすべてやめることにした。(『中年以後』光文社)

N:だったら組織を持つ意味はないのじゃないかなぁ。人や組織というものは結局は権力を行使するものだから・・・。

◎佐藤忠男『映画の真実』(中公新書)

P11
映画にかぎらず芸術芸能は基本的に現実の美化のうえに成り立っている。美化というと虚偽のニュアンスを帯びてしまうので理想化といい直してもいいが、同じことである。芸術とは現実の美化によってそこに理想を見ようとする行為だということもできるだろう。

N:そうか、現実の美化ですか。恋愛もきっとそうなのだろうなぁ。あっ、だとしたら恋愛映画はどうなる。美化の美化ということになるよね。これぞ本当のビカビカだ。・・・ではでは。

P88
小津安二郎はサイレント時代の若い日に、若い恋人たちの情熱的な愛を扱った作品も若干は作っているが、中年以降はもう、情熱的な愛という主題にはほとんど関心を示していない。人は見合いでも幸福な結婚に至る場合もあるし、恋愛で結ばれてもうまくゆかない場合もある。要は愛の情熱ではなくて、所詮は不確実なものでしかあり得ない人間関係の、その頼りないところを微妙に思いやることのできる感情のこまやかさと寛容さであるといいたげである。

N:きっと小津監督と言う人は微妙な思いやりを他人から受けたい人なんじゃな いかしらん。押し付けではない、とても心地の良い微妙な思いやりを・・・。 わがままな人ですね、僕もそうだけど。

◎東京新聞編集局編『映画監督50人・自作を歩く』(東京新聞出版局)

P79
「虚構の本質は、現実より激しい物語を作ること。事実より強い嘘を吐けるかどうか。決して事実を明かさないで、嘘を墓場まで持って行くべきだ」

N:原一男が撮った「全身小説家」という映画の中の作家=井上光晴の言葉。
僕はその昔、井上光晴さん原作の「明日」というドラマを演じたことがあります。そのとき読んだ井上さんの原作は、とても淡々とした日常を襲う原爆の恐怖と、忘れてしまいがちな日常の中の幸せを感じました。決して“現実より激しい嘘”のイメージはありませんでした。しかし、それこそが、作者にとっては“大きく激しい嘘”なのかもしれませんねぇ。深いですなぁ

◎池部良「つきましては、女を」(扶桑社)

P44
どうも、こういう「言われ」方は、素直に頭に入らない。志賀直哉先生の暗夜行路のテーマのように「理性では解っていても感情では許せない」という奴だ。

N:ああ、わかります。とくにこう言ったことは、女の人や家族に対してだとな お一層強く出てきます。きっと、これは“甘え”なのでしょうね。
ああ、 感情より強い理性が欲しい。そうすれば“戦争”“離婚”“中出し”はこの世からキットなくなるハズです。でも、“外出し”は決してなくならないでしょうね、うへへへへへ・・・。

P51
「〜例えば、御婦人が厠に行きますが、ただ便器に跨がって用を足せば、良いというものではございません。心得もなく腰を下ろし、両膝を開いて用を足しますと、女性のあのところの表面 の構造は、大変複雑・微妙に出来ておりますから、放出されるお小水は、人に依って、真っすぐに出ず、芝生に水を撒くときに用いるホースの先を指でつぶすしますと扇を広げたような撒く型になりまして、便器の周りを汚します。従いまして用を足すにも作法がありますの。片膝を立てて開いたら、もう一つの片膝は床につけます。こうして用足ししますと、撒水される心配もなく便器も汚さずに済みます」

N:きれいな厠でしたら、これも可能かと思いますが、公衆便所もしくは殿方 が跳ばした尿が便器の端っこに存在している厠では不可能かと思います。 いかがでしょう。

P62
「〜まさか優勝するとは。いやあ、びっくりこいたの向こう側ですね」と彼が言う。「何だい、びっくりこいたの向こう側って」と聞いたら「大した冗談じゃありませんが、びっくりを越えた、ということで、ひどくびっくりした、と言うことです。〜」

N:ああ、なんと新しい言い方ではありませんか。
「〜の向こう側」、明日から使ってみましょう。
「〜ああ、ああ、こらえきれないの向こう側〜」とか、
「〜イイ、イク、イク、イッちゃうの向こう側〜」とか、
「〜で、出る、出る、出ちゃうの向こう側〜」とか、
「〜ちょーだい、ちょーだい、ちょだいの向こう側〜」とか、
イングリッシュで言えば、
「〜more・more・over more〜」ですかね、
どう?もう、いいって、あっそう。

P203
「〜こらあ、僕の意見ですけど、地方、地方で女性の質も違うって言いますよね。
九州の女は、男に儘すけど、自分勝手な情熱が強すぎる。岡山・広島の女は負けん気で理屈っぽい。大阪・名古屋の女は、しまり屋で我が強い。静岡の女はのんびりしているだけ血の巡りが悪い。神奈川は大らかなくせに勘定高い」

N:僕の友人の情報によれば、九州の女性は情に厚く「嫌だ」と言う言葉が言えないため、ナンパ率が100パーセントだそうだ。嘘のような本当の話らしい。さあ、モテない君達、今日から九州に住もう。ってほんとかヨ。

◎川本三郎『小説、時にはそのほかの本も』(晶文社)

P160
「腐れ金玉が勝手に歌を歌い出す」

N:これは川本さんが抜き書きした、車谷長吉さんの文章より。
おお、おそろしや、おそろしや、金玉様の祟りじゃー。

P165
「祖父は生前こう言った。この世にはどうにもならないことが山ほどある。どうにもならなくなったときには海を見ろ。星児は風呂場の窓をいっぱい開けて、海を見る」

N:同じく丸山健二の文章より。
そうか、海を見ればいいのか。僕も家の風呂場の前に海を造ろうっと。

P227
「文章が書けなくなるときには良心にちょっと向こうを向いてもらうといいね。 良心をちょっとなくすといい」

N:同じように井伏鱒二さんのお言葉より。
でも、これって良心のある人じゃないと使えない手だよねぇ。悪心ばかりのオイラはどうすればいいのかなぁ。あっ!そうだ!良心じゃなくて両親じゃだめかなぁ。あっ!それもオイラにはいないのね。どうするー?誰か教えて下さいナ。

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