P19
魂というものは不思議なことに使い減りするものであり、自分を律していかないとすぐに曇って汚れるものである。
N:ウワサによるとポコチンもそうだと聞いた。ああ、早く自分を律しないとポコチンが曇って汚れてしまうううううう。
P82
幸福というのはまことに単純なものである。安心、というのはまことに幸福なものである。
N:不幸というものはまことに複雑である。
不安定というものはまことに不幸なものである。
P120
月を見るたびに思い出す。
私の精神はどんどん太って脂肪をつけてしまいそうになる。
そんなときは月を見る。
N:わかった!だから、わが家の細君はいつも月ばかり見ているんだ!
P11
「ぼくは歌うことで手紙をいつも出している。だからファンレターで感想を言ってくれたらそれは、ぼくへの返事だと思っている。返事に返事を書く必要はないよ」とジョン・レノンは言っている。
N:表現と恋愛は非常に似ています。だから本当に表現にハマッている間は恋愛にはハマりません。でも中途半端で表現にハマッていると、自分自身が寂しくなり、これまた中途半端に恋愛にハマッていきます。だから表現の世界では、男と女がよくくっついたり離れたりするのでしょうね。うへへへへへへ・・・・・。
P35
あのね、ものをつくるってやっぱりしんどい、悲しいことの方が多いです。『はせがわくんきらいや』を描いているとき、毎晩酒飲んで泣いていましたよ。しんどくってしんどくってしようがないですよ。でも、そうやって自分からひき離すこと、そうすることでもっと遠くへ行きたい。自分の中にとどめておくと前に歩けない感じがします。
N:著者の長谷川集平さんというのは絵本作家であり、ミュージシャンであり、映画評論家でもあります。おまけに言うと長谷川さんの叔父さんは映画監督の故・浦山桐郎さんです。『はせがわくんきらいや』というのは長谷川さんが描いた絵本です。僕は彼の絵が好きで『映画未満』という映画の本を持っています。その中の絵で、浦山桐郎さんと二人で縁側に座ってスイカを食べている絵があるのですが。その絵の浦山さんの顔が、とても神経が尖った顔に書いてあって、怖かったのを覚えています。読者カードを送ったら、『集平ガレージ』のライヴの情報を送って下さって。その絵葉書の絵がこれまたとてもいい絵でありました。これだけ集めて作品集を作ってもいいのになぁ、なんて一ファンの僕は思っています。
P35
〜だから物語を書く人がよく言うことがあるんですけど、ぼくたちは事実を書くんじゃなくて真実を書くんだと。少しむずかしいかも知れませんが、本当にあったかどうかはあんまり大事なことではないんですよ。いろんなあったことのなかから、何が本当のことかということを見つけだすことがむつかしいんです。経験したことを形をかえて書いているんです。ドキュメンタリーではないです。
N:よく[bo−bo−記]を読んで、「あれは俺の事か。だとしたら事実とちゃうぞ」とか「あれは私の事ね、嘘は書かないで」なーんておっしゃる方がよくいますが。形をかえて書いているのです。決して嘘ではありません。0を1にはしてはおりません。1を100にしたりしているだけです。
P72
たまに考えるんだけどね、考えることと行動が同時におこれば、こんなに良いことはないよね。考えてるだけでは、何かたまってくるしね。行動だけでもまずい。
N:考えてばかりいると鬱になるし、躁になるとこんどは行動しかしなくなる。オイラにはバランスがないのだろうか?
P90
『宝島』九月号インタビューの中で、横尾忠則が重要な指摘をしているので引く。「−アメリカはね、あるいはヨーロッパはね、そのドラッグ・カルチャーそのものを現実という問題にまで持ってきたでしょう。社会の一部っていうか。そういうところがなかったよね、日本は。(中略)で日本じゃ『死』っていうものの認識をドラッグによってしてないでしょ。死の感覚。そういうものがないでしょ。ドラッグで疑似死っていうのを体験できるよね。それがまずないよね。だから自分がどこから来て、どこへ行くのかっていう人間存在の問題がどうも希薄だよね。(中略)ある意味で健康だったのかもしれないけど、世界の文化、状況と肩を並べればグーンと遅れてしまったよね。非合法な世界を認めようとしない日本がね。非常に不幸な出来事だったね、ドラッグを鎖国したみたいなところはさ。−」
N:世界規模でもっとも『死』を考えない人種。それが日本人だと思います。だから精神年齢が低いと言われるのじゃー!そこのボケー!
P99
絵本に限らず表現するということは、他人の人生と関係してしまうということなんだ。しんどいことだ。
N:いちいち、そうだそうだとついうなづきたくなるなぁ、長谷川さんの言葉は。やっぱりモノ作りはひとりじゃできないからなぁ。自分ひとりの人生なら、まぁしゃーないなぁー、と言えるけれど、他人を巻き込んでしまうとなぁー、そうもいかんしなぁー、ほんとシンドイなぁー。
P107
満たす、ということがエンターテイメントの目標なんだったら、究極のエンターテイナーはふたつしかない。心理的にという条件つきで言うが、母親とチンポコ(つまりファルス)である。生まれ落ちた時から、われわれは自分の不快を母親と一体になることで解消しようとする。そのために必要なものがチンポコである。無意識の欲求に男女の区別
はない。
N:同感・・・。
P113
フェリーニは子供を「ちょっと変わった人」「小さな巨人」って言ってる。
N:うーん、僕はへんな意味ではなく、小人の人たちに対して、そういった感情をだくことがありますねぇ。
P145
それでね、小学六年生くらいの時に叔父さんがまたうちへ来て酔っぱらってる
時に聞いたことがあるのね。やさしさって何だって。さっぱりわからなかったから。その時にさ、机の上にちょうど、ふきんが置いてあったの、叔父さんはそれをぱっと広げて、よく見ろって言うわけ。ふきんと書いてあるだろう、これがやさしさだっていうんだな。
N:ここに出てくる叔父さんと言うのは映画監督の浦山桐郎という人で、「キューポラのある街」(1962)とか「非行少女」(1963)とかを撮りました。
そうか“ふきん”はやさしさなのか。では、“なぷきん”はどうだろう。あれはやさしさなのか、それともにくしみなのだろうか。
P182
だれか一人が死んだときに、その人の価値っていうか、その人の大事さって
いうのがわかるっていうのは、本当のことだと思います。それぐらいぼくらは
見てるものを判断することができない。実にわれわれの目って、いいかげんに
できてるんですね。本質を見抜けない。凝視できない。で、目に何も見えなく
なったときにはじめて、本質が見えてくる。そういう何か人間てのは、情けな
い存在です。
N:おお、情けない情けない、実に情けない、ポコチンの先っちょまで情けな
い。えっ!そこがいちばん情けないって。そうですか・・・。
P213
この街というか、この国のとってもいやなところは、物見高い、そのくせ物言わない世間というものがあって、世間というものは一つの幻想だとは思いますが、そこからはずれた行動をとると変な目でみられる。言ってくれればいいんだけれど、変な目でただ見てるっていう、そういう事がいっぱいある。
N:だいたいこの国には自分の価値観なり美学なりを持っている人が少なすぎるのです。それもこれも“生と死”を考えないからじゃないでしょうか。自分の内側の大きなテーマを考えないから自分が見えず、不安になり、自分勝手なことばかりを言ったりしたりするのではないでしょうか。同じワガママでもきちんと考えていれば美学になり、いいかげんにしているとエゴになってしまう。そんな気がいたします。
P236
演奏を終えた幼いモーツァルトが、拍手喝采の中、きょろきょろと会場を見
渡し、ひとりの貴婦人を見つけ、駆け寄って、こう言ったそうです。
「ねえ、ぼくの音楽と同じっくらい、ぼくのことも好き?」
N:ああ、かなしいかなしい。モノを造る人はいつもそう思ってモノを造っているのです。誰かにこっちを向いてほしいのです。愛してほしいのです。
ああ、かなしいかなしい。