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◎ビートたけし『頂上対談』(新潮社)
P61
たけし:〜いい家庭に生まれて、楽しく過ごして、大学出て漫才師になったって面
白くないと思うよ。お笑いというのは、歪んだところから物を見るわけだから。
N:松本人志との対談の中で。
僕は最近よく映像演技の生徒から質問されることがある。「普通に生ヌルイ幸せな生活をおくっている人は表現とかしちゃあいけないんですか」と。
「別に駄目じゃないけど、そういう人は面白いものを産まないよ」と、僕は答えることにしている。
実際問題、ヌルイ生活をしてきた人は物の見方がヌルイ。したがって表現もヌルクなるのだ。
やはり人と違う道(物の見方)を歩んできた人はそれだけで面白い。
P238
今村:アラカン(嵐寛寿郎)なんていう人はね、一回使いましたけどね、必ず正面
切るんですよね。正面のカメラをチラッと見るんです。カメラがあるから見るんで。正面
にはインチキカメラを置いて、脇に本物のカメラを置いた。でも、必ず探して本物のカメラの方を見るんですよ(笑)。キャリアの中で察知するんでしょうね。すごいですよ、それは。
N:今村昌平との対談で。
アラカンもアラカンだけど、インチキカメラを据えるイマヘイもイマヘイだと僕は思う。
P239 たけし:最近はアダルトビデオをやたら見るようにしてるんだけど、セックスシーンの演出ってさ、自分のことを教えてるような気がしてね。まずこうしてくれって言うと、あなたはいつもこうするのかって思われるような気がしてだめなんだ、恥ずかしくて。ダンカンを使った時に、「このからみのシーンはどうしたらいいんでしょう」って聞かれたんだ。「いつもおまえがやってるようにやんなさい」って言ったら、いきなり女の頭を自分の股間へ持ってきて、もうだめだと思った(笑)。「そんなシーンあるか」って言ったら、「いや、私はいつもこうです」って。
N:同じく、イマヘイとの対談で。映画「みーんな!やってるか」で主演したダンカンの話。
僕はこの「みーんな!やってるか」を観たとき、ああ、タケシさんは狂ってるんだなぁとあらためて思い、背筋が寒くなりました。他人の心の中に狂気を発見したときって、自分の中の狂気を発見したときよりもズッーと恐くて悲しいものです。
P244
今村:人は六十後半から変態になるんです(笑)。もう七十過ぎてるんだからね、ものすごく変態になりますよ。
N:ああ、七十が楽しみだ。どんな変態になっているのだろう。でもきっと自分の想像を越える変態にはなっていない気がするなぁ。だって僕の頭の中の変態さんはそれはもうスゴイですから、ハイ。
◎みうらじゅん『青春ノイローゼ』(双葉文庫)
P134
「ベースの音は子宮に響くの」
まだクラスでは、子宮のことを“こみや”と呼んでる奴がいたスイートな時代に、スージー・クアトロは、こんな発言で世の男性諸氏を挑発しまくっておられた。
N:スージー・クアトロが出現したのは僕が中学の頃でした。僕の友達はスージーはノーパンだと教えてくれました。でも、いったいどこにそんな根拠があるというのだろう・・・・・・。
◎小林信彦『物情騒然』(文藝春秋)
P121
面白い脚本の〈面白さ〉とは、物語の核になるアイデアである。そのアイデアとはたった一行で書けるものでなければならない。ぼくの経験から考えて、アイデアは一行ですむ。
N:ウーム、小林先生わたしは出直して参りまするー。
P143
宮崎駿の「千と千尋の神隠し」はちひろという十歳の少女が両親といっしょに新しい引っ越し先へ向かう車の中で始まる。
〜中略〜
両親とちひろが乗った四輪駆動が走る道のアスファルトが切れ、砂利道に入ると、タイヤの音が変化する。車の揺れ方も変わったと思う。なんでもないことのようだが、宮崎アニメが観客をとらえるのは、こういう細部だと思う。
N:つくり手はいつも細部にこだわりたいと願う。でも細部にこだわると、こだわった割に見た目の変化はない。だけど感情の流れは大きく変わる。これが大きいのだと思う。しかし、細部にこだわるとどうしてもコストがかかる。制作部との戦いである。
◎タレント文化人100人斬り『佐高信』(教養文庫)
P39
「結婚は性交の宣伝だ」と言った皮肉屋がいる。とすれば、結婚披露宴というのは性交披露宴ということになるだろう。その結婚をつづけて三十年。大島渚と小山明子はそれを祝うパーティーをしたという。席上、野坂昭如と大島がケンカをしたらしいが、「性交三十年」を広告する大島のヒワイ感には恐れ入る。
N:僕はこんなふうに物事をとらえてしまう左高さんの脳みそに恐れ入る。
P199
松本(人志)は、お笑いの世界にそれほど執着心はないのだと言い、「せっかくオレ様が笑わしてやっている」のに、足を引っ張ったり中傷したりするなら、いつでもやめてやる、「オレがいなくなったお笑い界がどうなるか少しは考えてみろ」と力んでいるが、松本が引退して困る人間がどれほどいるのか。お笑いで人気が出たからといって、自分で「天才」などと言うのはおこがましいだろう。天才とは、十六歳の時に「暴風と海との恋を見ましたか」という川柳をつくり、「万歳とあげて行った手を大陸へおいてきた」等の反戦川柳で捕らえられ、「蟻食いを噛み殺したまま死んだ蟻」という壮絶な川柳を遺して二十八歳で獄死した鶴彬(つるあきら)のような人をいうのである。
N:鶴彬ってどんな人だろう。僕は知らなかった。よーし、明日から鶴彬を調べまくろう。
◎久世光彦「私があなたに惚れたのは」(主婦の友社)
P117
この人には、どこか哀しい欠落がある。誰にも埋めてやれない空白がある。端正な横顔の裏側に、水色の絶望が貼りついている。―この人にときめく秘密は、そこにある。
N:女優:清水美砂さんの章で。
ああ、こうやって久世さんは女優さんを御口説きになっているのねと、そう思わせる文章でございます。
P138
「女優と幽霊は、怖くなくっちゃ」
「幽霊に近いなら、やっぱり希少価値な人なんだろうね」
「怖い女優になるカモね」
N:女優:大場久美子の章で。
大場久美子は確かに“怖い感じ”がする人です。でもこの人の“怖い感じ”は女優のもつそれとは違い、女のもつ生々しい怖い感じなのではないでしょうか。僕はそう思います。
P286
―そして森繁さんの話を聞いているうちに、私は面白いことに気がついた。たくさんの人たちとの関わり合の中で、森繁さんが鮮明に憶えているのは、その人との間に残った〈悔い〉の思いなのである。他にもエピソードはいろいろあったろうに、まず思い出すのは〈悔い〉なのだ。あの時こうしてやればよかった、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう、いま会えるものなら会って詫びたい―そればかりだった。思い出すのではなく、忘れられないのだ。―人生とは〈悔い〉のことなのだろうか。
N:僕は森繁さんのことがあまり好きではないので、こう解釈します。この人は〈悔い〉ながら過去の自分を正当化したい哀しい人なのではないかと・・・・・・。
◎大杉漣「現場者」(マガジンハウス)
P17
「劇の戸口は、追われてきた者がたどりつくところであるといえる。(中略)劇はまずはじめに人間の不健全がたどる方法である。劇を行うにふさわしい者はおそらくこの世に存在しない。存在するのは、ただ現実の生活に適さない面
をもった者たちである」太田省吾さんの『役者の背中』という文章に出会ったのは、ぼくが迷いの淵にいる頃だった。
N:この考えは正しいと思います。だけど、正解ではないような気がいたします。
P44
「表現とは、ゴールを持たない長距離走者のようだ」という太田さんの言葉のごとく―。
88年冬、最後の公演を終え転形劇場は解散した。
N:この考えは正解のような気がいたします、はい。
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