bo-bo-記 rec.0095 01.01.14



最近読んだ本からの抜粋(3)」
  


◎引き続き「人生を〈半分〉降りる」著:中島義道(新潮OH!文庫)より

つまり、人間は−文化を完全に廃棄しニシンのように生きることを決しないかぎり−他人を攻撃する衝動、他人に勝りたい衝動を消し去ることはできない。ホッブズは、この衝動をまるごと人間の本性=自然と認めました。 たえず出し抜かれること、これは悲惨である。たえず他に一歩先んずること、これは至福である。そして、競争を放棄すること。その名は死である。P170

N:そうか、ニシンか。サケではダメなのだろうか。。。。

パスカルは「戦うこと」のもつこの魔力を、少し違った観点から「気を紛らわすこと」と呼び子細に分析しました。彼によれば、われわれが戦いを好むことは、「死ぬ こと」をはじめ次々に襲う人生の不幸を「紛らすため」に不可欠のものとして人間が考案したものなのです。だから、その「楽しみ」の裏にはピッタリと「虚しさ」ないし「惨めさ」が貼りついている。P174

N:キット「生きる」ことがすでに「戦い」であり「気を紛らす」ことなのだろう。だとしたら、人はなぜ生きる・・・・・・・・・。

気を紛らすこと。人間は、死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことについてかんがえないことにした。P174

N:そう言わず考えようよ。 パスカルの「パンセ」からの引用だそうです。

懐疑精神とは、「思いこみたい欲求」や「納得したい欲求」に負けそうになるのをグッと踏みとどまって「そうかなあ」と問つづけることです。ですから、−さきに述べたように−それは「絶対を求める精神」の裏返しであり、絶対を求めなければ、懐疑に陥ることもない。人生コンナものかと適当なところで悟ってしまえば、雲散霧消してしまうものなのです。P175

N:悟ってしまえば、と簡単におっしゃいますが・・・・。

・・・・・一般的に言えば、宗教の誤りは危険であり、哲学の誤りはただ滑稽なだけである。P181

N:大衆の誤りは馬鹿馬鹿しい。

人間の不幸というものは、みなただ一つのこと、すなわち部屋の中に静かに休んでいられないことから起こるのだ。P209

N:そうだよね、静かに休めるときって幸せを感じるよネ。ネって言われても困ると思うけれど・・・・・・・。

女性というのは、たとえどんなに極端な嘘をついているときでも、つねに真実なのである。なぜなら、そんなときでも彼女たちは、何らかの自然な感情に動かされているからである。P223

N:これってナチュラルな嘘つきですか。 →女性は否定的存在ではない。ただ無なのである。・・・・・女性は罪を犯すことはできない。なぜなら、彼女自身罪であるからだ。・・・・・女性の意味は意味のない点にある。P224

N:ますます女性がわからなくなってきた。

「哲学的生き方」とはどんなものか、おおよそおわかりのことと思います。それは、まもなくあなたを訪れる「死」につねに向き合って、繊細な精神・批判精神・懐疑精神をもち、自己中心的な態度を貫き、できるだけ世間と妥協せずに生きることです。それは、世間的には不幸なことであり、この不幸を噛みしめ不幸を自覚して生きることでもあります。そして?そして、あなたはまもなく死んでしまうのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P274

N:こうやってこの本は終わります。

おたがいに「死んだつもりになって」シブトク生き抜きましょう!P284

N:そしてあとがきではこのように締めていました。

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