++ gift ++


■ I

女の子のほしいものならすぐわかる。
自分がもらってうれしいものを数え上げていけばいいんだもの。
きれいなお花もいいし、きらきら光る石もすてき。
空色のバッグも捨てがたいし、ぴかぴかオレンジのパスケースもいいな。
冬ならふわふわの手袋、夏ならおちゃめなキャラクター入りの扇子もいいかも。
もちろん、おいしいって評判のケーキも最高。

でも、男の子のほしいものって?

ましてや、学校の、地球の男の子じゃない場合は?

バァンは、どんなものをあげたら喜んでくれるんだろう?


 ここガイアでも「誕生日を祝う」という習慣があることを知って以来、それなら、バァンのお誕生日にはきっと自分もお祝いしてあげよう、と心に決めていたひとみは、その日が近くなると意気揚揚とプレゼントを用意し…ようとした。
 が。
 困ったことに、そもそも何をあげたらいいものか、皆目検討がつかないのだ。
 バァンって…何をあげたら喜ぶんだろ?
 彼の誕生日が間近に迫ったその夜も、ベッドの上で大きな枕を抱えて、ひとみは頭をひねりつづけていたが、どんなに考えてもいいものが思いつかない。
 とりあえず参考に、今まで男の子にプレゼントしてきたものを思い浮かべることにした。
 といっても、弟と、小学生のときにちょっと人気のあったクラスの男の子だけだから、ろくなものがないのだけれど。
 おまけつきのお菓子とか(もちろんメインはおまけ)、TVアニメのステッカーとか…ああ、弟が好きだって言うサッカー選手の写真が入った雑誌のポスターを、本屋のおじさんに頼み込んでもらってきたこともあったっけ。
 もちろん、ガイアにはおまけつきお菓子なんかないし、本屋もない。
 第一、あったとしたって、そんな子供じみたものをバァンが喜ぶとは到底思えない。
 それじゃあ、対象年齢をあげて…そうだ、天野先輩のお誕生日には、何をあげようと思ってたんだっけ?
 ひとみは、かつて誰よりあこがれていた人のことを久しぶりに思い出した。
 かっこよくって、何事にも一生懸命で、何より思いやりがあって。いつでも笑顔で優しかったひと。
 そこまで思って、ひとみはくすりと笑みをもらした。
 バァンとは、ぜんぜん違うのに。
 天野先輩は、どちらかっていうと、アレンさんよね。
 アレンさんも、かっこよくて、いつも優しくて。いっしょにいると安心できて。やっぱり大人なのかな。
 それに引き換えバァンときたら、いつも無愛想で、何を考えているんだかわからなくって、大事なことは何にも言わないし。無茶ばっかりして心配ばかりさせて。こっちの気持ちなんてぜんぜん考えてないんだから。
 心配で、気になって、どきどきして、仕方ないのに。
 あいつったら、全然わかってないんだから。
 ぶっきらぼうに空を見上げる横顔と暗赤色の瞳を思い出してしばらくぼうっとしていたひとみは、「いけない、いけない、考えなきゃ」と頭を振って、それから枕に顔をうずめた。ほほに触れる布がすこしひんやり感じるのは、自分の顔が少し火照っているからだ、ということには気が付かないふりをすることにした。
「えーと、だから、天野先輩に何をあげようとしてたかったいうと…」
 ひとみは、天野の誕生日の間際に今と同じようにあれこれと悩んだことを思い出していた。夕焼けの下、海を見下ろす階段、いつもの帰り道。


 …スポーツマンだもの、タオルは必需品だよね。
 タオルねえ…でも消耗品だからすぐくたびれちゃうよ、せっかくのプレゼントなんだから、長く大事にしてもらえるものの方がいいんじゃない?
 長く持っててもらえるもの? うーん、定期入れとか?
 …ひとみ、天野先輩、自転車通学だよ。
 …わかってるってば。
 それじゃあ、シューズとかどう?
 ダメダメ! シューズって高いんだから。部活部活でバイトどころじゃないんだもの、そんなに予算ないわよ。
 あら、そーんなの、部活の帰りのたい焼きソフトクリームいちご大福の買い食いを1ヶ月やめたら結構たまるじゃない。
 あーっ、もう、そんなこと言って。じゃあゆかりも断食につきあってよね。
 いやよ、あたしは関係ないもーん。おいしいものをひとみの分まで食べておいてあげるから安心しなさい。
 なにソレゆかり、そんな友達甲斐のないことじゃ、どこまでもブクブク太っちゃうんだからね。
 だいじょうぶよ、あたしは食べても食べてもスリムだもん。
 何言ってんの、そんな都合のいいことあるわけないでしょ! 食べ物の恨みは怖いんだから!


 …まるで昨日のことのように鮮やかによみがえる、ともだちとの会話。他愛のない、同じ平和な生活が明日も、いつまでも変わらずに続くことを信じて疑いもしていないからこその無邪気さ。とても近く感じるのに、とても遠い世界のこと…
 しばらくの間、ひとみは枕に顔をうずめていたが、やがてその枕を顔から引きはがすようにベッドにどすんとたたきつけた。
 そうだ、お金。あたし、お金なんか持ってない。
 高い安い、以前の問題。プレゼントを買う、なんてそもそもできっこないじゃない。
 うわー、なんでそんな大事なこと思いつかないんだろ。あたしっておめでたすぎ…ゆかり、思い出させてくれてありがとう。やっぱり持つべきものは親友だわ。
「…なんて、バカなこと言ってる場合じゃない…」
 自分の間抜けさに脱力して、ひとみは枕を放り出してベッドにごろんと転がった。大の字になって天井を見つめるが、当然、天井によいアイディアが書いてある訳もなく、ただ呆然と宙を仰ぐのみ。
 ただでさえ、何がほしいのか全然見当ももつかないのに、さらに、お金がなくても用意できるもの、なんて、もっと思いつかない。
 …お花?
 町外れの草原や川辺に、きれいな花がたくさん咲いてるのは知ってるし、あたしは、もらえたらうれしいけど、バァンにお花…う、似合わないとは言わないけど…なんか、違うような気がする…
 あとは…厨房で材料を分けてもらってお菓子とか料理とか…
 だ、だめ。それだけは避けたい。ただでさえ、へたくそではないけどそう得意でもない料理、ましてやガイアの食材なんて何をどう扱っていいのか全然わからない。そんな状態でできあがるものが、人様に差し上げられる代物になるとはとても思えない。
 ほかには、えーっと…うーん、肩たたき券…
 って、どこの小学生よあたし。第一、ガイアの字、書けないし。いやそういう問題じゃ…
 そもそも思いつかなくて途方にくれているところに、さらに制約が加わって、ひとみは半ばパニック状態だった。
「あーもうっ、全然考えつかないっ! もういい、今日はもう寝る! おやすみ!」
 結局、思考を途中放棄して、ひとみは誰が聞いているわけでもないのに就寝宣言をし、ふとんにもぐりこんでしまった。とはいえ、ふとんの中でもずいぶんと長い間「あれでもない、これでもない」と考えつづけてはいたけれど。
 しかし、そんなひとみをずっと窓の外からのぞいていた影がひとつあったことには全然気づかずじまいだった。
「やっぱ、あの女、ヘン…」
 テラスの手すりの端っこで毛づくろいをしながら、メルルは呆れた顔で部屋の中をのぞきこんでいた。
 そんな窓辺を青く照らして、白い月と青い月は静かに輝いていた。



■ II

 ひとみがうんうんと考え込んでいる間にも日はまたたくまに過ぎてしまい、暦は白十二の月を迎えてしまった。

 世情が世情だけに、周囲のあわただしさはいつもと変わらなかったが、それでもバァンの元にはあちこちから祝いの品が届けられていた。
 色とりどりの石で飾られた鞘に収められた剣や、珍しい鉱石を目に埋め込んだ美しい鳥のオブジェ。南方の国からは見たこともない獣の毛皮が届けられ、メルルの猫心をおおいにくすぐっていた。
 城では、夕方が近くなってくるとささやかながら祝いの料理の用意が始まり、城のあちこちでは若き王の誕生日を祝う声が気の早い乾杯の掛け声とともに響いていた。
 そんな中、当の主役のバァンは、少し落ちつかなげに城の回廊を歩いていた。通りすがりに祝いの言葉を投げかける人々に軽く挨拶を返しながら、やや足早に先を急ぐ。ただ視線をあちこちにめぐらせていたが。
「ひとみはお城の中にはいませんよ」
「っ!? …なんだ、メルルか。驚かすな」
 回廊を抜け、中庭に出たところで、鼻先の樹の枝から突然メルルが目の前に飛び降りてきたので、バァンは一瞬ぎょっとしたが、すぐに平静を取り戻して足元にしゃがみこんだメルルを軽くにらみ返した。
「バァン様、ひとみをお探しなんでしょう? メルルが探して呼んでまいりますよ。バァン様はお城で待ってらしてください」
 バァンの視線をものともせず、メルルは軽く笑みを含んだ上目遣いで主人に語りかけた。すると、逆に主人の方がばつが悪そうに視線をそらした。
「別に、俺はひとみを探してたわけじゃない。ただ…そういえば、今日は朝食のあとから全然見かけていないと思っただけだ」
 バァンの名誉のために言うならば、彼の言葉に嘘はない。
 確かにバァンは、「ひとみを探す」という確たる意図があって歩き回っていたわけではないし(祝いの日とはいえいろいろと多忙なのだから)、朝食の卓をいっしょにしたあと、そろそろ日が翳り始めるという今ごろの時間までひとみの顔を見ていない、というのも事実だ。
 そう、今日はひとみに全然会っていないのだ。
 普段なら、城の中や外を人々といっしょに駆け回って働いているひとみを、日に何度も目にする。そうしたとき、お互いに忙しいから立ち止まって話したりすることはできないが、その代わり、ひとみは決まって、「頑張ってね、無理しないでね」と言うようにお日様のような笑顔をバァンに向けるのだ。もちろん、バァンの方は、それに笑みを返すなどという芸当ができるはずもなく、毎度ふいっと顔を背けてしまい、いつも周囲の人々に苦笑いされているのだが、その胸の中は陽だまりのように暖かくなっているのだ。
 しかし今日は、いや、正しくはここ数日、食事の卓以外でひとみと顔を合わせていない。
 お互い、城や町のどこで働いているのかわからないのだから、むしろ顔を合わせる方が珍しかったのかもしれない。そうは思うけれど、それにしても、こうも会わなくなるものだろうか。
 それこそ、意識して避けているのでもなければ…
 避けている?
 その考えは、バァンの心を大いに揺さぶった。
 そんなことがあるだろうか。彼女の気に触るようなことを、気づかぬうちにしでかしていたりするのだろうか。
 どうやら自分はこまやかな心情の機微に疎いらしい、ということを、バァン自身もおぼろげながら気づいている。だから、何か彼女を怒らせるようなことをしてしまっていた可能性は、残念ながら決して否定できない。
 しかし、何もよりによってこんな日に…
 ふとそう思って、バァンは我ながら少し驚いた。
 幼かった頃は確かに、自分の誕生日を祝ってもらうのを少なからず楽しみにしていた。
 しかし、長じてからは、その祝い自体がなんだか子供じみたもののように感じられたし、それに、立場上、多くの人々が祝ってくれ、また多くの贈り物を受け取りははしたが、本当に自分がほしいものはその中には決してなかったのだった。
 とはいえ、具体的に何がほしいのか言え、と言われても、答えられないこともわかっていたが。
 「これじゃない」ということだけはわかるのに。
 それがどうにももどかしく、かといって心をこめて贈られる数々の品々を邪険にするわけにもいかず…
 といったわけで、「誕生日祝い」は、彼にとっては「面倒な年中行事」の一つになってしまったのだ。
 そのはずなのに。
 なぜ、こんなに気になるのだろう? 今日という日にひとみがいないことが、ひどく気にかかるのはなぜなのだろう?
 そう思ったら、どうにも落ち着かなくなってきてしまった。それで、あちこちを歩き回りながらも、ひとみの姿を探してきょろきょろしていた、というわけだ。
「城の中にはいないって、メルル、ひとみがどこに行ったか知っているのか?」
 バァンが問うと、メルルは少し困ったような顔をしてふるふると首を横に振った。
「どこに行ったのかまではわかりません。ただ、そろそろみんなが仕事から引き上げてくる頃に、誰かの車に乗って西の森のほうへ向かったのは見かけたので、まだあっちの方にいるんじゃないかと…少なくとも、城にはまだ戻っていないみたいです。まったくあいつったら、今日はバァン様の大事なお祝いの日だっていうのに!」
「西の森?」
 はて、とバァンは首をひねった。今日は西の森でなにか作業があっただろうか。
 そういえば、湖へ行く途中の川で橋が半分落ちかけているというので、男たちが大工道具を背負ったウマを連れて向かっていくのをバァンも見かけた。しかしその中にひとみの姿はなかったし、第一それは朝早くのことで、さらに言うなら、ひと仕事終えた男たちが、今日は祝いだからと早々に町へ戻ってきているのも、バァンは知っていた。
 つまり、ひとみは彼らとはまったくの別行動をとっているということだ。
 まもなく陽も落ちようというのに、いったいあいつはどこで何をしているというんだろう。
 今日に限ったことではない。ひとみは突然、こちらが思いもよらないようなことをしでかす。そのことが、どれだけ俺をはらはらさせているか、あいつははわかっているのだろうか?
 自分が彼女を怒らせたのかもしれない、という可能性をすっかり放り出し、バァンはなんともいえない苛立ちを募らせた。
 その顔に途端に不機嫌さが広がったのを見て取って、メルルは慌てて立ち上がり、主人の手を引っ張った。
「バァン様、もうしばらくしたら宴が始まりますから、バァン様はもうお城にいらしてくださいね。なんたって、主役なんですから。ひとみは、あたしがひとっ走り行って探して、大急ぎで引っ張ってきますから!」
 そう言ってバァンを城の広間のほうへ連れて行こうとするが、バァンがあの表情を浮かべたら、もう人の言うことなんか聞かなくなっている、というのは、メルルが誰より一番よく知っている。少しの間だけ頑張ってみたものの、すぐにあきらめて、強く引っ張っていた手を優しく握りなおした。
「あの…バァン様? ひとみを見つけても、叱らないでやってくださいね。ひとみはひとみで、バァン様のために一生懸命だったんですから」
「メルル?」
 ふっと優しくなったメルルの声に、バァンは思わずしかめていた顔をゆるませ、ほんの少し泣きそうにも見えるメルルの顔を見下ろした。
「おまえ、本当はひとみがどこにいるのか知っているのか?」
 バァンの問いに、メルルは申し訳なさそうに耳としっぽを下げた。
「どこにいるかはわかりません。けど…ひとみは、バァン様へのお誕生日のお祝いの贈り物を探しに行ったんだと思うんです。だから…」
 メルルは、ここ数日の間、ひとみがそのことに頭を悩ませているのをずっと見ていた。その七転八倒ぶりはある意味笑えたけれど、「バァンが喜ぶものをあげたい」というその気持ちは確かに伝わってきたので、いつものように茶化したりしないでだまっていたのだった。何かいい忠告ができればよかったのかもしれないが、そこまで親切にしてやるのはちょっぴりしゃくだったし、それ以前にメルル自身も、「バァンが本当にほしいもの」が何なのか、答えを知らなかった。
 まあ、想像はついたけれど。
 それを思うとやっぱりちょっとしゃくで、ほんの少し唇をとがらせて見上げた主の顔は、怒ったような呆けたような、なんだか不思議な表情で、今この場から動き出すべきかどうか考えあぐねているように見えたので、メルルは仕方なく握っていた手を離すとバァンの背中を軽く押し出した。
「宴の最初はバァン様のお言葉ですからね。日が落ちるまでに帰ってきてくださいね!」
 不意に押し出されて軽くつまづきそうになったバァンは、元気に手を振るメルルの顔を振り返り、それから一瞬だけ考えて、次の瞬間には城門に向かって走り出していた。
 日が落ちるまで、もうあまり時間がなかった。



■ III

「どうしよ…せめて、明るいうちに、開けたところへ…」
 半分泣きそうになりながら、ひとみは天を仰いだ。
 梢の間に見える空はいつのまにかほんのりオレンジ色に染まり始めており、その色がだんだんに濃くなり、やがて星が光り始めるまでにはさして時間がかからないように思えた。事実、見上げているその間にも、刻々と空の色は深みを増していくように見える。
「これじゃパーティまでに帰れないよ」
 つぶやきながら、実際のところはパーティどころか今晩中に城へ戻れるかどうかすら甚だあやしい状況であるということを、ひとみは認めないわけにはいかなかった。
 ここは西の森の中。ひとみはたったひとりで歩いていた。

 ひとみが昼食のために城に戻ったのは、太陽が中天をだいぶ過ぎた頃だった。
 昼食のピークをとっく過ぎていたためか、城の中に設けられた仮設食堂には人がまばらにいるのみだったので、なんだか夏休みの学食のようだ、とひとみは思った。
 ただし、今晩はバァンの誕生祝いの宴があるので、厨房はいつもよりも少し慌しげに見えた。
「今日は久しぶりに祝宴だね。今年も王様のお誕生祝いができて本当によかったよ」
 いっしょに食事をとっていたおばさんがからからと笑う。他のみんなもうれしそうだ。
 しかし、ひとみだけが眉根を寄せて、スープとにらめっこをしていた。
 そう、ひとみはまだプレゼントを用意できないでいたのだ。
 ここのところ、その件については頭が痛くなる程考え続けていたのだが、結局、当日になってもよいものが思い付かないままだった。しかもあと半日でこの日も終わるというこんな時間になっても、やっぱり「これは!」というものがどうしても思い付かなかったので、ひとみはかなり泣きそうな気分だった。
 せっかくのお祝いなのに何もプレゼントがないなんて情けない状況では、なんだかバァンの顔を見るのもつらくて、ここ数日はできるだけバァンと会わないで済むようこそこそと逃げ隠れる始末。
 ああもう、なにやってんだろあたし。本当にどうしよう…なんにもないよりは、せめてお花くらい摘んでこようかしら。
 …こんなものをあげたい、っていうものは思いついたけど、具体的に何がいいのか、全然想像もつかないし…
 祝い事を前に盛り上がる人々を横目に見ながら、かなり追い詰められた気分のひとみの背後に、黒い影が立った。
「よう、お嬢ちゃん。久しぶりだな。元気か?」
「ひゃあ!」
 背後から突然声をかけられ、あやうくスプーンを取り落としそうになりながら振り向くと、そこには大きな獣人…ルムがいた。
「わあ、びっくりした。ルムさん、お久しぶりです。どうしてここに?」
 慌てて立ち上がり挨拶する。全身を毛に包まれた獣人は、ぱっと見はおそろしげだが、そのまん丸な瞳はとても優しかった。
「今日はバァンの誕生祝いだろ? うちの村からの祝いの品を届けに来たんだよ。やつが小さい頃からよーく面倒見てやったからなあ。あのチビ助が立派に王様になって、最初の誕生日だ。盛大に祝ってやらんとな」
 茶目っ気のある笑い声でルムが言う。それを聞いて、ひとみはぴんとひらめいた。
「そうだ、ルムさん! ルムさんならわかるかも!」
 言いながら、食べかけの食事をおいてルムの手を引っ張り食堂の外に連れ出す。
「おいおい、なんだよ。どうしたんだい」
「あのね、ルムさん、教えてほしいんです。バァンのお父さんとかお母さんとか、フォルケンさんのことを思い出せるもので、今から、お金をかけないで手に入るものって、何かあります?」
「は?」
 いきなりの、かつ突拍子もない質問に目を丸くしているルムをよそに、ひとみは大きく息をついた。
「あの、あたし、バァンにお祝いを贈りたいんです。それで、何をあげたらバァンは喜ぶかなって、ずっと考えてたんですけど…
 あたし、お誕生日って、家族にお祝いしてもらうの、すごくうれしかったんです。でもバァンは、まだ小さいときにお父さんも、お母さんも、お兄ちゃんもいなくなってしまって、家族にお祝いしてもらったことってあんまりないんじゃないかと思うんです。だから、家族のみんなもきっといっしょにお祝いしてるよ、って思えるような、何か思い出の品とかがいっしょにあればいいかなと思ったの。でも、具体的にどんなものがいいのか全然思いつかなくって。ルムさんなら、バァンのこと昔から知っているから、何か思い当たるものがあればと思ったんですけど…どうですか?」
 自分よりずっと高いところにあるルムの顔をじっと見上げ、真剣なまなざしで訴えるひとみに、ルムはなんだかこそばゆいような気持ちになったが、彼女の気持ちを思うと、ここでふき出したりしちゃいかんだろうな、と思わずこぼれそうになる笑みをなんとか抑え、天井を仰いで彼女の質問の答えを探した。
「そうだなあ…あいつは、家族がそばにいた期間のほうが短いからなあ…」
 思い出の数はあまり多くないかもしれない。
 でもその分、よりあざやかに心に残っているものがあるはず。
「すいません、めちゃくちゃな質問して…そんなに簡単に思いつくものじゃないですよね」
 随分と長いことルムが天井を見上げたままなので、ひとみが申し訳なさそうにうつむく。それに気づいたルムが、困ったようにひとみの頭を軽くなでた。
「いや…ないこともないんだが、今から行くには、ちょっと遠くてなあ。俺の帰り道だから、そこまでは車に乗せてってやれるんだが、帰りはだめだ。俺もどうしても日の落ちる前に村に戻らなくてはいかんのでな。歩いて戻れない距離ではないが、あんたの脚じゃ相当時間がかかると思うぞ。夕方の宴には間に合わんかもしれん」
 そのルムの言葉に、ひとみは飛びついた。
「でも、歩いて戻れる距離なんですよね? だったら大丈夫です。あたし、脚には自信あるんです。間に合うように走って帰ります」
 そんな無茶な、とルムは言いたかったが、この娘なら本当に走って帰ってしまうのだろう、という妙な確信もあった。誰かを想う気持ちは、人の心だけでなく、脚にも翼をつけてしまうらしい。
 仕方ないな、とひとつ息を吐くと、ルムは窓の外のヤク車を指差した。
「俺は倉のほうにもうひとつ荷物を置いてくるから、食事を終えたら、あそこにおいで。行きだけだが、乗せていってやろう」
「ありがとう、ルムさん!」
 ルムの言葉に、ぱあっと花が咲いたような笑顔を見せ、抱きつかんばかりの勢いで喜ぶと、ひとみは「急いで食べてきます!」と言って食堂へ戻っていった。
 その後姿を見ながら、ルムはぽりぽりと頭をかいた。
「まぁ、あんだけ想われれば、バァンもしあわせだろうよ。いい誕生日じゃないか」

 ルムの言う「いいもの」は、西の森の中の小さな湖のほとりに咲く小さな花だった。
 バァンがほんの幼い頃、たった一度だけ家族4人おしのびでその湖へ出かけ、一日を過ごしたのだという。そのときのことを、小さなバァンはルムに何度も話して聞かせたそうだ。よほど楽しかったのに違いない。
 その湖のほとりで、幼いバァンとフォルケンが母である王妃に、辺り一面に咲いていた白い花を摘んで贈り、そのうちの一輪を、父である王が王妃の髪にさした。王妃の黒いつややかな髪にその白い花はまるで宝石のように美しく映えたそうだ。
 その花の話がひどく印象的でねえ、とルムはヤクの手綱を握りながら言った。
 ちょうど今がその花の時期だから、今ならたくさん摘んでこられるだろう、とも。
 ルムの隣で車に揺られながら、結局「花」になっちゃったな、とひとみは思ったが、でも、ただ単にきれいな花、というのとは意味合いが全然違う。
 あたしが贈るのは、「花」のかたちをした「しあわせのかけら」。あたたかな家族の想い。
 …なんて、バァンが気づいてくれればいいけど。
 二人を乗せた車はやがて、小さな、しかしきらきらと輝く湖のほとりに着いた。
「わあ…ほんと、きれい…」
 ひとみが降りたその岸辺には、きっとかつてもそうであったように、白い花が一面に咲き乱れていた。
「じゃあ、俺はここでお別れだ。帰りは、今来た道じゃなく、あっちの森の中の散策路を行きな。その方が近道だ。今来た街道は、車が通れるようにだいぶ遠回りをしているからな。あの道をまっすぐ行けば川にぶつかる。川下の方へ少し行けば橋があるから、それを渡ればあとは町まで一直線だ。くれぐれも気をつけてな」
「ルムさん、ほんとにありがとうございました! ルムさんもお気をつけて!」
 少し心配そうに振り返りながら車を走らせていくルムを見送り、ひとみはさっそく花を摘み始めた。
 バァンのお母さん…お父さん…フォルケンさん。
 きっと、今も遠くから、バァンを見守ってますよね? お祝いしてあげてますよね?
 その気持ちを、あたしに届けさせてください。しあわせなお誕生日にしてあげてください。
 心をこめて、ひとみはゆっくりと花を手折った。
 
 ある程度の花束になったところで、ひとみはルムに言われたとおり森の中の散策路を小走りで進み始めた。木々の合間に見える空はまだ青く、この調子で行けばなんとか夕暮れまでには城に着けそうに思えた。
 歩き始めて一時間ほどたっただろうか、ルムの言ったとおり川にぶつかった。それなりに幅広の川で、これはいつぞやのように飛び越えるようなわけにはいかないな、などと思いながら、花束を胸に抱えて相変わらず小走りで川沿いの道を進んでいたが、やがて、とんでもない事実に直面した。
「は、橋が、ない…」
 厳密には、「渡れる状態の橋がない」、である。
 ルムが言っていたとおり、ここには橋がある、いや、あったのだが、先の戦で半分落ちかけており、それを、よりにもよって今日、建て直しのための取り壊しが始まったところだったのだ。バァンが今朝がた見かけた男たちは、この橋の作業に来ていたのである。彼らの作業により、ところどころ残っていた橋板は完全に取り除かれ、今は橋脚のみになってしまっていた。その橋脚にかけられた橋げたも、ところどころ焼け落ちたり折れたりで、強引に橋げたをつたって渡るというのも不可能のようだった。
「ど…うしよ…」
 さらに川下へ向かったところで、川幅はむしろ広がるばかり。ひとみが自分の脚で飛び越えるのはどう考えても無理だ。
 来た道を湖まで戻って、そこから車で来た道を戻るか? それしか方法はなさそうに思うが、ここまで小走りで来たのと同じだけの時間がかかるのだから、湖に着く頃には日が暮れかけているだろう。それからさらに遠回りだという街道を徒歩で戻るとなると…時間の問題だけじゃない、暗くなれば野犬も出てくるかもしれない。
「でも、それしかない、よね…ここにいてもしょうがないし…」
 戻るなら早く動き出さないと、森の中で日暮れを迎えてしまうことになる。それだけは避けたい。
 ひとみは来た道を一目散に走り始めた。



■ IV

「橋が…!」
 西の空が赤みを帯びはじめた頃、城からウマを走らせてきたバァンは「かつて橋であったもの」を目の前にして慌てて手綱を引いた。
 メルルの言う通り、ひとみがバァンへの贈り物を探すために西の森へ出かけたのだと言うのなら、それらしい場所として思い付く行き先は森の奥にあるあの湖しかなかった。それ以外にはただ普通の森だし、その向こうはもう国境の峠道だ。一般的に考えて、そんなところに贈り物になりそうなものがあるとは思えなかった。
 とはいえ、湖にだってとりたてて何があるというわけでもないとバァンは思う。西の森近辺で一番可能性が高いのがそこだ、というだけのことである。
 まったく、あいつは何を考えているんだ。もう日も暮れようというのに、いつまで出歩いているつもりなのか。人にどれだけ心配させれば気が済むのか。
 空の色が少しずつ、しかし徐々にその色を変える速度を速めていくのを苦々しく見上げながら、バァンはウマの進む道を峠に向かう街道から左へ向けた。街道は車が山道を登れるように大きく迂回しているので、湖へ行くには森の中の散策路を抜けた方がずっと早いのだ。とりあえず湖へ向かい、そこにまだいればそれでよし、もしひとみが既に車で城へ向かい始めていたとしても、湖から街道を逆行すれば、ウマの足ならのんびり進むヤク車には必ず追い付く。
 そう考えて、森に入る手前の橋を渡ろうとしたのだが、その橋がなくてはいくらウマでもこの川幅は渡りきれない。なるほど、今朝がた見かけた男たちの仕事場はここであったのだ、と今になって思い出し、バァンは自分のうかつさを呪った。
「…ちぃっ」
 引いた手綱を握り直し、バァンはウマの鼻先をもと来た道へ向けた。さっきの分岐まで戻り、街道ぞいに湖へ向うしかない。
 街道を進むのでは、湖に着く頃にはだいぶ日が落ちているだろう。それまでに、こちらへ戻ってくるひとみの車に出会えればいいが。彼女の無鉄砲な行動につきあわされて車を操っている哀れな民ががどこの誰だかはわからないが、とにかく無事に見つけたら、ひとみにはきつく言わないと。
 …バァンが、ひとみは車で戻ってくるもの、と思っているのも致し方ない。確かに散策路の用意されている湖だが、それはこの近くまで車で来て、そこからしばしの森林浴を楽しむためのものであり、城との行き来すべてを徒歩で行うなどといったことは、余程の物好きでなければ考えないことだからだ。
 だから、バァンを乗せたウマがようやく湖のほとりにたどり着いたとき、そこに至るまでの道のりで一台も車に会わなかったことで、バァンが「ひとみを乗せた車は、きっと自分が横道にそれている間に入れ違いで街道を城へ戻っていったのに違いない」と思ったからといって、それを短絡と責めるのは決してできないことだった。
 東半分の青がだいぶ深みを増した空の下、バァンはそこにひとみがいないことに安堵したような、それでいて残念なような複雑な思いでひとつため息をつき、ふと岸辺を見渡した。
 一瞬、息を呑んだ。
 それは、バァン自身すっかり忘れていた、懐かしい景色だった。
 遠い幼い日の、あたたかな記憶。
 父がいて、母がいて、兄がいた。
 今はもういない、愛しい家族。
 辺り一面に咲いた白い花が日の光にきらきらと宝石のように輝いていたのを、おぼろげに覚えている。
 今はかすかな残照を受けてほのかにその白さを夕闇に浮かべている花々に、バァンはしばらくの間目を奪われていたが、思い出を振り切るように頭をひと振りするとウマを降り、念のため湖の周りを一周してから帰ることにした。
 しかし、岸辺を歩いていると、ますますいろいろなことが思い出された。父のたくましい背中、母のやわらかな微笑み、自分に差し出された兄の優しい手。
 バァンの覚えている限り、たった一度だけ、ごく普通の家族のように過ごした暖かい一日だった。
 そういえば…あの日も、自分の誕生日ではなかったか?
 そして、家族が揃った最後の誕生日だった。
 それが悲しくて、記憶から消してしまっていたのかもしれない。
 あれから随分と成長しているはずだのに、そんなところはまだまだ子供だということか。
 そう思ってふと苦笑いをこぼしたそのとき、バァンの背後10コースタほど、森へ入る散策路の方でがさりと音がした。
 野ねずみ? あるいは…野犬?
 バァンは振り向きざまに腰の刀の柄に手をかけた。その目に飛び込んできたのが彼にとってあまりにも意外だったので、一瞬、その動きが止まった。
 ひとみだ。
 森の中からよろけるように飛び出してきたひとみは、そこにバァンがいることにはまったく気が付いていないようだった。その手に小さな花束を抱えたまま、岸に向かってまっすぐ走る。
 その様子がなにか尋常ではなかったので、バァンはようやく気を取り直して彼女に向かって走り始めた。
「ひとみ!」
 走りながら声をかけると、ひとみはようやくバァンに気づいた。その表情は一瞬だけ安堵あるいは歓喜の色を浮かべたが、しかし、次の瞬間には見る間に泣きそうな顔になり、そして、叫んだ。
「だめ、バァン、逃げて!」
 なに? とバァンが思う間もなく、つい今しがたひとみが出てきた森から、一頭の野犬が唸り声をあげて飛び出してきた。実際のところ、ひとみがあんなにおびえるほどに大きく獰猛な犬には見えなかったが、慣れない土地、しかも徐々に暗くなる森の中で、きっとひとみは野犬の影に必要以上におびえながらずっと走りつづけてきたのだろう。脚はもつれ、今にも草むらに倒れこみそうだった。あの調子では、バァンのいる場所までたどり着くまでに追いつかれる。たいして大きい犬ではないとはいえ、相手は飢えた野犬である。
「湖だ! ひとみ、水に入れ!」
 バァンはとっさに叫んだ。彼女が今いる場所からはバァンの位置より岸辺の方がずっと近い。野犬は水の中までは入ってこられないはずだ。
 言われるままに、ひとみは最後の力を振り絞って湖に走りこんだ。ただでさえ力の入らなくなっている脚に水圧が加わり、まともに進めない。数コースタほど水に入ったところで水底の石につまづき、そのまま水の中でへなへなと倒れ込んでしまった。持っていた花束が水しぶきといっしょに水面に舞い散る。
 追っていたひとみが水の中に入ってしまったことで、野犬は岸辺までは来たものの、数コースタ先のひとみをにらみ吠え立てるよりなくなってしまった。バァンはその野犬に向かって、刀を鞘ごと振り上げた。その気迫に押されたのか、野犬はさしたる抵抗もできないまま、きゃいん、と一声鳴くと森の中へ逃げ去っていった。
 そのあとには、今まさに日が暮れんとする空の下、ひとみの髪から滴り落ちるしずくが水面に落ちる音だけがかすかにするのみだった。
 バァンはゆっくりとひとみを振り返った。水の中でへたりこんだままのひとみの周りの水面に、白い花が点々と散っていた。それでバァンは、ひとみがこんな場所へ来た目的を知った。
 しかし、だからと言って、彼女がこんな時間まで城に戻らず、心配をかけたことには変わりはない。
 大きく息を吸い込み、吐いて、バァンは言った。
「ひとみ」
 ただ名前を呼ばれただけなのに、ひとみはその声にびくりと肩を震わせ、そして小さな声で言った。
「ごめんなさい…本当にごめんなさい」
 目を伏せ、唇を震わせている様を見ているのはバァンとしても胸が痛むのだが、さんざん心配させられたのも事実だし、ひとみにはちゃんと反省してもらわなければならない。
「わかっていればいい。城に戻ったらメルルに礼を言っておけ。おまえがこっちへ向かっていたのをメルルが見ていなかったら、誰もこんなところには来なかったんだからな…どうした? 早くあがってこないと風邪をひくぞ」
 いつまでたっても水の中に座り込んだままあがってこないひとみを不思議に思い、岸辺から手を差し伸べるが、ひとみは一向にあがってこようとしない。
「どうしたんだ、ひとみ。立てないのか?」
「あの…なんか、力が入らなくて。もう少し待ってて。すぐ行くから」
 この湖とあの壊れた橋との間をほぼ走りっぱなしだった上に、水の中で体の自由がうまくきかなくなっているためか、ひとみはなんとか自分で立ち上がろうとするのだが、脚に力が入らないのだ。立ち上がろうともがくたびに波紋が生まれ、水面の白い花が頼りなげにたゆたう。
 いつまでたってもひとみが立ち上がれないので、見かねたバァンはざぶざぶと水の中に入っていった。ひざの辺りまで水につかったところで、もがくひとみのわきに手を入れ、立ち上がらせようとする。
「い、いいよバァン、自分で立てるから…きゃっ!」
 ひとみは無理やり引き上げられた体を支えようと足を伸ばしたが、水底の砂利に足をとられ、ひとみの体を支えたバァンもろとも水の中にひっくり返ってしまった。
「…ごめんなさい…」
「…いや…」
 頭からずぶぬれになってしまったバァンに、ひとみはとにかく頭をさげるしかなかった。もちろん、ひとみ自身もずぶぬれだったのだが。
 そのひとみの髪に、さっき水面に浮いていた花のひとつがぺたりと張り付いていた。お互いぬれねずみになってしまった水の中、ひとみをそれ以上叱責する気も失せたバァンは、ひとみの髪からその花を取ると、あらためてひとみの耳元にさしてやった。いつか、父が母にしたように。
「バァン…?」
 おそるおそるバァンを見上げるひとみに、バァンは問うた。
「なぜ、わざわざこの花を? 花なら町にでも城のそばにでも、いくらでもあるだろう」
 責めるわけではなく、ただ、不思議だった。なぜ、よりによって、この花を。
 ひとみは、少し考えてから、もうひとつ、まだ傍らを漂っていた花を手に取って言った。
「ルムさんに聞いたの。バァンにとって、家族のことを思い出せるものはどんなもの? って。そしたら、このお花を教えてくれて…あたし、バァンのお父さんもお母さんもフォルケンさんも、きっとバァンのお誕生日をお祝いしてると思う。だから、あの…」
 そこまで言って、ひとみは言葉を途切れさせた。宙に浮いた言葉を持て余したように、手の中の花を見つめる。
「どうした?」
 突然黙ってしまったひとみを不思議に思い、バァンは先を促したが、ひとみはなぜか「ごめんなさい」と頭を下げたので、バァンはわけが分からなかった。頭を下げたままひとみが言う。
「あの、このお花を持っていったら、フォルケンさんたちもお祝いに来てるような気になれるかな、と思ってたの。だけど…こんな『形』がなくてもバァンはいつも家族のことを忘れたりしないし、フォルケンさんたち家族の想いはきっとバァンに届いているのに違いないよね。ちょっと考えればわかりそうなことなのに、おこがましいことをしちゃって、挙げ句、こんなに迷惑までかけちゃって…あたしってほんとバカ。本当にごめんなさい! …さ、今日の主役をいつまでもこんなところでぬれねずみにしてたらいけないわよね。早くあがらなきゃ…きゃ!?」
 ひとみは今度こそ自力で立ち上がろうとしたが、それは意外にもバァンによってとどめられた。
 花を持ったひとみの手首をつかみ、手前へ引き寄せる。あっ、と声をあげ、バランスを崩して胸元に倒れこんだひとみの体を、バァンはそのまま抱きしめた。
「バァン? ね、ねえ、行かなくちゃ?」
 ひとみはあまりに突然のなりゆきに目を丸くしていたが、バァンはその手を緩めず、そして言った。
「…ありがとう」
「え?」
 ひとみにしてみれば申し訳ないことだらけで、怒鳴られこそすれ、感謝されるようなことは何もないはずなのだが、バァンのその声は、小さかったが、確かにそう言っていた。
 そして、バァンはその言葉通り、ひとみに感謝していたのだ。
 自分の誕生日、届けられるたくさんの祝いの品。
 でも、その中には、自分が本当に欲しいものはありはしなかった。
 本当に欲しかったのは…自分の大事な人に祝ってもらうこと。
 そのときを、いっしょに過ごすこと。
 そのことに、ここへ来て、この花を見て、初めて気がついたのだ。
 本当は、父や、母や、兄に、誕生日をいっしょに祝ってほしかった。
 ずっと、ずっと。
 しかし、望んでも得られないとわかっていることをいつまでも望み続けるのは、周りの人々にも心配をかけるし、何より、自分自身が辛い。
 だから、忘れた。そんな望みなどないと思うことにした。
 …それでも、なくしたかけらを埋めるものはどうしても見つからなかった。そう思っていたのに。
「おまえがいて、よかった」
 なくしたかけらは還らない。
 その場所に、いつの間にか入り込んでいた存在。かけがえのない、いとしい人。
 ひとみがいたら、もう他に何もいらない。
「…でもあたし、せっかくのお誕生日なのにこんなに迷惑かけちゃって、それに肝心のお誕生日のお祝いも結局用意できなかったし…」
 バァンがいつまでたっても抱き締めた腕を緩めないので、身動きできないままのひとみが申し訳無さそうに言った。その言葉に、バァンは少し乱暴にひとみの両ほほをすくいあげ、自分の方を向かせた。
「おまえは、本当に全然わかってないんだな」
 そう言って、ひとみの唇に自分の唇を重ねた。ほんの一瞬だけ。水にぬれた唇は少し冷たかった。ひとみが目を丸くする。その視線をよけるように、バァンはすぐに顔を背けた。
「俺が、おまえがこの日にそばにいてくれて、よかったと言っている。わからないのか?」
 ぶっきらぼうにそれだけ言うと、バァンは立ち上がり、岸に戻ろうとした。しかし、今度はひとみがそれを引き止めた。
「ねえ、いいの? あたし、いいの? だってあたし、バァンになんにもあげられない…」
 立ち上がったバァンを見上げるひとみの手を、バァンはゆっくり引き上げた。ひとみが立ち上がると、ふたたび、視線が近くなる。
 そのほほを、もう一度手で包む。
「頼むから、こんなことを何度も言わせないでくれ。…おまえは、そこにいるだけでいい。おまえがそこで笑っていれば、俺は、うれしい」
 バァンの至近距離にあるひとみの顔が、ほのかに紅潮する。やがて、ゆっくりと開く花のように、柔らかな笑顔がこぼれた。
 その笑顔に、バァンはもういちどくちづけた。もっと長く、もっと深く。
 これ以上の誕生日祝いは、きっと、この世のどこを探しても見つからない。
 大事な、だいじな、ひとみ。

 二人を乗せたウマは、風のような早さで街道を駆け抜け、城へ帰り着いた。
 城では、宴の主役の帰還を待ち構えていたので、バァンがぬれた服を着替え終わるや否や、早速宴が始まった。たくさんの祝いの品が積み上げられ、温かな料理が多くの人々にふるまわれた。
 ひとみも乾いた服に着替え、人々の中にまぎれて宴席のスープのおすそわけを味わっていたが、その足を突然何ものかに蹴りあげられ、小さく悲鳴をあげた。
「あんた、バァン様に迷惑かけるんじゃないわよ」
 案の定、メルルがひとみを背後からにらみつけていた。今回の件に関してはひとみも大いに反省していたので、メルルにも素直に「ごめんなさい」と答えた。それから、「ありがとう」と付け加えた。メルルのおかげで、こうして祝いの席に無事戻ることができたのだから。
 そのひとみの反応に拍子抜けでもしたのか、メルルは少し間の抜けた表情になったが、すぐに気を取り直して聞いた。
「で、結局、何をお祝いにしたの? あんた、さんざん悩んでたでしょ」
 メルルのその問いに、ひとみは「内緒よ」とだけ答え、遠く主賓席に座るバァンの方に目をやった。ほんの少しだけ間をおいて、すぐにバァンと目があった。そのバァンに、ひとみはとびっきりの笑顔を返したのだった。


++ FIN ++




++ バァン様ご生誕祭2003 参加作品(笑)++

松本屋本舗/まつもとめいこ 2003Apr. web site:「星月夜の井戸」
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