初代日本丸・海王丸
大型帆船で最も多いのが、おそらくバーク型です。
シップとスクーナーのよいところをとったものとされています。
いちばん後ろのマストに横帆がないだけで、残りはシップ型と同じ
形をしています。
日本人ならたいてい知っている、運輸交通省が所有し航海訓練所が運用
している練習船の
日本丸と海王丸
がバークです。日本丸と海王丸は全国の商船学校の合同練習船として、1930年に
建造されました。設計はスコットランドのラメージ&ファーガソン社で、
建造は神戸の川崎造船所でした。
どちらも帆がいつも白くきれいで、太平洋の貴婦人とよばれています。
しかし長い歴史の中で、2隻とも、今の人がみたらぜったい日本丸や海王丸だと
わからない姿で航行した時期がありました。戦時中です。2隻とも、全ての帆とヤード(帆をはる横棒)をとりはずし、船体を灰色にぬり、
軍のための輸送船として働いていたのです。
帆をはずして帆船が動くのか?動きます。今世紀に建造された大型帆船は、
ディーゼル動力もつんでいますから。日本丸も海王丸も、幸運にも戦争をのりきり、
戦後しばらく人の輸送などに従事しました。
そして1953年、浦賀の住友重機の浦賀艦船工場(通称浦賀ドック、作った艦船一千隻!
2003年閉鎖だが、歴史的価値が高く博物館になるらしい。)で
再びヤードと帆をとりつけ、船体も白くぬりなおした日本丸は、練習生たちをのせて、
太平洋航路に復帰しました。29枚の白い帆に風を受け、10年前と同じ姿にもどって太平洋を
走る日本丸をみた関係者の感慨はいかばかりであったでしょうか。
海王丸はその3年後の1956年、同じく美しい姿で太平洋航路にもどってきました。
浦賀ドックによるリニューアルは素晴らしいもので、設計もオリジナルではそのー...
だった部分も修正されたそうです。2度目の竣工が少しだけ遅かった海王丸。
そのぶん、日本丸よりも5年も長く現役を続けるとができました。
初代日本丸は1984年、
初代海王丸は1989年
に引退し、それぞれ横浜港と富山新港に
係留されています。どちらも母港(船籍)は東京でした。海王丸の、日本海の代表的港に1隻とゆーのは
係留されています。どちらも母港は東京でした。海王丸の、日本海の代表的港に1隻とゆーのは
わかるのですが、日本丸は...第2の母港といったら神戸ではないでしょうか。誕生の地だし、
寄港が多く、近所の大阪では帆船フェスティバルもよく開かれますし...なぜ横浜?
まあおかげでこっちはいつでも見にいけますが...
船の扱いは手馴れているこの2つの港町で、日本丸と海王丸は美しく
保存されています。海に浮いてるし総帆展帆もやってますし。
特に三菱重工の旧ドックに係留されている日本丸は、まるで
整備中のよう。アンカーをあげればそのまま走り出せそうです。
...いや、本当に走れるでしょう、状態いいですから。
ただ日本丸をじっと
みていると、やっぱり神戸にいきたそうにみえるんですよねえ...。
新日本丸と新海王丸
日本丸と海王丸が、いつのまにか2代目になっていたことは、船をみただけでは
だれもきがつかないでしょう。4本マストバークでデザインそっくり。
ただし、それは私たち素人目にであって、新日本丸、新海王丸は大きく違って
いるそうなのです。まず大きさがひとまわり大きいです。旧は全長97mですが
新は110m。船首のリボンが旧は金色で新はブルー。新はなんとフィギュアヘッドが
ついている!設計・建造とも横須賀・浦賀の住友重機械工業。(この新の方こそ、引退後に
横浜港でお引取りじゃないかしら。)
あ、新日本丸&新海王丸の施工のお仕事は、ネームバリューとかじゃなくてー、普通に入札で
業者が決定されております。
内部はベッドが大きくなったり、女性船員用設備がふえたり、大部屋がなくなったり、
客室ができたり(海王丸のみ)して、暮らしやすくなっているみたいです。
設計は日本で行われたそうで、建造費は68億円。帆の面積が増えただけでは
ないと思いますが、両方とも旧より帆走時の速度がでるようになり、
新しい海王丸などは「124時間でどれだけ進むか」
を競うボストン・ティーポット・トロフィーを4回受賞し、この賞の速度記録(1995年)を
もっています。
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