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安島

 
安島の住人 「手長足長」

 大昔、この安島に最も早く住んでいたのは、手長足長であった。 手長足長とは、非常に長い手を持った手長と、非常に長い足を持った足長のこと。 この手長と足長は、足長が手長を背負って海に入り、手長は貝のフンを手のひらに乗せて海の中へ入れ、 魚が食べに来たところを捕まえるといった方法の、漁をしながら暮らしていた。
 この手長足長の時代は約千年程続き、次に安島の住人になったのはエゾだった。 そして、エゾの時代が約二千年程続いた後、若狭の方向から四道将軍がやって来てエゾを追い払った。
 それからやって来たのが、現在の安島の人々の先祖であるらしい。


 
安島の住人 「陣ケ岡や熊堂(くまんどう)」

 今から七百年程前に、現在の陣ケ岡に住んで農業中心の生活を行っていた人々のうち四十二戸の家が、現在の安島に移り住むようになったとされている。 はじめは北側の海岸に、その後下の方に家は建って行ったが、上の方に家が出来たのは極く最近のことらしい。
  そして安島でもかつての住人は、陣ケ岡にいた頃と同様、農業をしていたとある。生業とする漁業をはじめたのは最近になってからの事らしい。
 また、こういう伝説もある。
 今から七百年程前に、嵩(だけ)の熊堂から七軒の家が移つて来たのが安島のはじまり。 そして、今のお寺もその七軒在所の中の一軒であるという。
 その頃、安島の住人は皆農業をしていたが、 三百五十年程前からヤマトセンの船方をするようになつた。 土地に伝わる謡(うた)に「船の船頭さんはかくいても知れる、帯は丸巾ささむすぴ」と云うのは、この船方のことを指すのであって漁師のことではない。


※昭和28年に、安島から縄文時代と思われる漁人の住居跡が発見されている(安島遺跡)。
 最近では、平成10年(7/24〜8/2)・平成11年(7/24〜8/1)に國學院大學による雄島の発掘調査が行われ、平成12年に『雄島祭祀遺跡学術調査報告』が同大学考古学資料館より出ている。それによると、この調査の出土品の中に、縄文時代中期の所産と思われる遺物や、古墳時代中期・5世紀の所産と思われる物がある。また「祭祀遺跡に関しては、遺物の検証から客体的にではあるものの10世紀代の須恵器や土師質土器などが混在している事実から、既に該期において信仰の島であったことを傍証するところである」ともある。
 福井県立博物館や三国町立みくに龍翔館などにも、雄島出土の古い採集遺物がある。
 これらのことからも、安島に人が住むようになったのが700年前とは考え難いし、安島の住人が漁業をはじめたのが最近になってからということもうなづけない。
 故に、ここに挙げた昔話は、あくまでも古い伝説として考えてもらいたい。


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