味坂神社 【misaka-jinjya】 総合の頁 | 神明の頁
神明

味坂神社の由緒


 元正天皇の養老元(717)年紀州熊野神社より神体を勧請し平野と云う所へ鎮守。諸人の帰依は浅からず毎月十八日には老若群集し参拝が絶えなかったと伝えられております。
 淳和天皇の元亀三(1572)年朝倉氏滅亡の時、確證並に鳥居その他平野畑一万余歩、燈明田、神楽田、神兒田、祭典畑、社守畑、御膳水池、馬場、鞍掛松、身禊池等尚旧規を存し、その頃国主御歴代の祈願なりし由これらの御判物その他奉納品等もありたれども次第に衰頽し後、延享二(1745)年より今の三国町神明に故ありて氏子所属し後社務支配十六名にて輪番を以て奉仕し居る内、焼失或は紛失し唯田畑並に馬場池石祠鳥居等のみとなりました。この頃、神社は瀧谷村字弥坂山(現在の三国高校の近く)に鎮座しておったが、明治二十八(1895)年現在の神明社の境内地に移転、明治四十一(1908)年七月十六日、神社としての福井県の許可を得る。現在では更に少ない氏子にて奉仕し、従来とおりの深い帰依をもって祀られております。






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